初台で転ぶ
自宅で一日中卒論や修論を読んで煮詰まったので、夕方に初台に行った。オペラシティで3月10日までの坂本龍一の展覧会を見るために。実は行く前から私には向いていないだろうという予感はあったけれど、一応、坂本龍一だし。
私はダムタイプという京都発のグループをおもしろいと思ったことは1度もない。1990年に最初の職場で1980年代の日本のビデオアートのアンソロジーを作った時、選考委員の意見で彼らのパフォーマンス「Pleasure Life」の映像を加えた時から。西武百貨店の「スタジオ200」で公演も見た。YMO的なバブルに乗った日本発ポストモダンがダサいと思った。
それから最近になって東京都現代美術館やアーティゾン美術館でも個展を見たが、やはりピンと来ない。今回もダムタイプの高谷史郎の作品があるというから心配していたが、「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」の展示はむしろライゾマティックスの真鍋大度の映像が中心だった。ダムタイプは映像上映の方でそちらは予約で満員。
ライゾマティックスは東京都現代美術館でも見たが、とにかく映像と音楽で見せ切る力を持つ。坂本龍一と共同の《センシング・ストリームズ2023―不可視、不可徴》は坂本の音楽に合わせて出てくる映像が、映像の前に置いたボタンを押したり左右に動かすと変化するインターアクティブなもの。
特におもしろいと思わなかったが、小さなソファに座って数分見ようかと思ったが、ソファに座った途端に後ろに転んでしまった。隣の人も「大丈夫ですか」と言い、慌てて係の人までやって来て「頭は打っていませんか」「骨は大丈夫ですか」と大騒ぎ。坂本龍一の音楽の中で暗闇でみんなに取り囲まれて何とも恥ずかしかった。
それからは「転んだおじさん」と見られているようで落ち着かない。次の部屋の3本の映像作品はライゾマティックスが1本とほかに2本あったが、とにかく空いているソファの席にすぐに座ってみんなに気づかれないようにした。1本は映画『シェルタリング・スカイ』の音楽の編集版だったが、私は完全に忘れている。
ライゾマティックスと作った《Generative MV》は坂本本人がピアノを弾き、周囲の風景がニューヨークからどんどん変わってゆくというもの。大きなスクリーンで老いた坂本龍一の顔をしっかり見て、妙に悲しかった。そこまで10分ほど見たら「転んだおじさん」の記憶もみんなから消えたかと思って次の明るい部屋へ。
そこにはアーティゾン美術館のダムタイプ展で見た展示の一部や毛利悠子の自動ピアノや李禹煥の小さな絵画があった。どれも何だかなあという感じだが、若者たちは熱心に見ていた。坂本龍一はYMOの頃から最後までカッコよかったが、その真似をしたり彼をかついで仕事をした人たたちはどうなのだろうかと「転んだおじさん」は思った。
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