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2024年2月14日 (水)

『夜明けのすべて』の大きさ

三宅唱監督の『夜明けのすべて』を劇場で見た。小さな会社で働く人たちのほとんど何も起こらないようなドラマなのに、まるで社会を揺るがすような大きな映画に見えた。久しぶりにとんでもないものを見た感じ。同じ監督の『ケイコ 目を澄ませて』にも驚嘆したが、なぜかそれを上回る。

映画が始まると、ちょっと変わった女性・藤沢(上白石萌音)が出てくる。普段は明るく親切なのにある時突然発作のように周囲に怒り出す。それはPMS(月経前症候群)で、母親もわかっていてうまく対処する。大学を出てそのことを言わずに就職するが、やはりうまくいかない。

5年後、子供向けの科学玩具を作る会社で働いている。彼女の発作はたまに起こるが、周囲は理解している風だ。そこにはもう一人、問題がありそうな後輩の山添(松村北斗)がいる。彼はどうもやる気がなさそうだが、それは実はパニック障害で実は電車にも乗れないことがわかってくる。

最初はこの2人がパラパラと出てきて嚙み合わず、彼らが働く会社の同僚たちは妙に優しすぎるので落ち着かない。ところがそれが実は考えられた末の行動だとわかってくる。会社の同僚たちも、あるいは山添が前に働いた会社の社長も、みんな小さな傷跡を負いながら普通に明るく生きている。

それがわかると途中に入る風景が実に優しく感じられてくる。藤沢が山添の髪を切ってあげるだけで、何かが変わり出す。そして2人が計画するプラネタリウムの企画が楽しみになってくる。そこですばらしいのは、彼らが恋愛の方向に流れていかないことだろう。

そうすれば見ていて楽しくなるのだが、映画はもっと大きなものへ向かう。この包み込むような感覚は、これまでの映画にはなかったような気がする。見ながらなぜか自分の日頃の呑気でケチな毎日を反省すると同時に、映画というものの新たな方向を見つけたような思いに駆られてしまう。

この包み込む感覚は、荒い16㎜フィルムで撮影されたあの古き良き昭和のような映像から来ているのは間違いない。DVDや配信の小さなスクリーンではきっと味わえないのではないだろうか。もう一度映画館で見たい。たぶん二度目には最初からビンビン響いてくるだろうから。

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