最初にパリに行って40年がたった:その(3)
1984年3月、パリから夜行電車で20時間くらいかけてプラハに着いた私が泊まった3つ星ホテルは、一泊3000円ほどだった。夜の7時過ぎに教えてもらったホテルに着くと、運よく部屋があった。リュックを部屋に置いて何か食べようと外に出るが、真っ暗でレストランやカフェらしきものはない。
結局、ホテルの中のレストランに行くことにしたが、そこはソ連のスポーツ選手のグループがいてうるさかった。テーブルに着くと「Fish or meet?」と聞かれて思わずFishと答えると、何かわからない白身魚のソテーにサラダがついてきた。その後にコーヒーを飲んだ気がする。
翌朝、7時頃にレストランに行くと、1人だった。女性が近づいてきて、エッグとかハムとかサラミとかを勧めるのですべて注文したら1000円ほどで夕食と同じくらいだった。いずれにしてもそのホテルは当時の自分には高級過ぎたので、その女性に安いホテルは知らないか聞いた。すると地図を持って来て「このあたり」とマークしてくれた。
さっそくチェックアウトして8時くらいに言われた場所に行ってみると、安そうなホテルがいくつか並んでいた。そのなかで清潔に見えたホテルを選んで入ると、英語は半分しか通じなかったが、1泊500円くらいなのですぐに決めた。プラハには全部で3泊したはずだが、いくつか覚えている。
安ホテルのそばの労働者用の立ち食いカフェで朝食を取ったが、100円もしなかったこと、ユダヤ人墓地が実にカフカ風だったこと、プラハ城で会った同志社大学の男2人とオペラを見に行って有名レストランで食事をしたこと、街角で「チェンジ・マネー?」と声を掛けられて3倍くらいの闇レートで換金したこと、デパートにはモノが本当に少なかったこと、中心部に古い大きな鉄工所があったことなど。
パリに帰る夜行列車で、先祖探しにプラハにやってきたアメリカ人青年と隣になった。結局パリに着いて前に泊まったレピュブリック広場近くのホテルに一緒に行き、ベッドが2つの同じ部屋に泊まることになった。今なら知らない外国人と同じ部屋なんて考えられないが、当時は「その方が安くて部屋は広い」で即決。
そのリック君とはその後も何度か文通した。パリに1週間ほどいて、何をしただろうか。シャイヨー宮にあったシネマテークに行ってトリュフォーの『夜霧の恋人たち』を見たら、シネマテークが出てきて感激した。名画座「スタジオ43」でゴダールの『中国女』を見たり、映画館でタルコフスキーの『鏡』を見たり。
今はなき「パリスコープ」を片手に、とにかく日本で見られない映画を見つけては1日に2本は見た。あとはヴェルサイユ宮殿とルーヴル美術館。まさかそれから10年もたたないうちに美術展の企画を本業とし、ルーヴル美術館とも仕事をするとは考えもしなかった。
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