« 『すべての夜を思いだす』の描く多摩ニュータウン | トップページ | 中国やフランスに憧れた日本の画家たち:その(1) »

2024年3月21日 (木)

最初にパリに行って40年がたった:その(4)

1984年の8月ひと月を過ごしたディジョンでは、もう一つ覚えている。午後の文学の授業でフロベールを読んでいた30代の美人の先生が、学生10名ほどを自宅の夕食に招待した。そこには今の彼氏と元カレの両方がいて、フランスの恋愛とはこういうものかと驚いた。

その先生は私が映画を勉強しに来たと聞いて「日本映画と言えば、ナリューズの『ニュアージュ・フロッタント』に感激した」と言ったが、私には何のことかわからなかった。それが成瀬巳喜男の『浮雲』だとわかったのは、翌月パリに行ってから。

Naruseはフランス人が普通に発音したらナリューズになる。ちなみに黒澤はキュロザワになるがこちらは推測できる。そのうえ、当時の私は黒澤や小津や溝口は数本ずつ見ていたが、成瀬は1本も見ていなかった。成瀬巳喜男は1983年のロカルノ国際映画祭における回顧上映をきっかけに「第4の巨匠」と言われ、急に国際的に有名になった。

フランスでは83年から84年にかけて『浮雲』が劇場公開されていたので、その先生も見たのだろう。彼女は「日本人のくせに成瀬も知らないなんて」と思ったに違いない。日本映画と言えば、83年のカンヌでは今村昌平の『楢山節考』と大島渚の『戦場のメリー・クリスマス』がコンペに出て『楢山節考』がパルム・ドールを取っていた。

どちらもすぐにフランスで劇場公開されたので、よく「日本ではナラヤマのようなことは本当にあるのか」と聞かれることがあった。「『戦場のメリークリスマス』は日本人を馬鹿にしていないか」とも言われた。考えてみたら1984年1月から翌年の4月までは、シネマテーク・フランセーズで日本映画500本を上映していた。だからある種の日本映画ブームだった。恥ずかしいことに、私は成瀬巳喜男も増村保造も加藤泰もこの特集で初めて見た。

さて話を戻してディジョン大学のひと月が終わると、私はすぐにパリ郊外のホテルに行った。これは「フランスを知る」という北フランスのパ=ド=カレー県が主催したプログラムの一環だった。地元の若者5人、フランスの各地から5人、日本から10人が集まって1週間をパ=ド=カレー県で過ごすというもの。

このイベントは毎年やっていて、年によって招待する国は変わる。たまたま1984年は日本で、私は留学ビザの申請に行ったフランス大使館でポスターを見た。パリまで自費で行けば、パリからの往復旅費と1週間の滞在費、食費は先方が負担。私は9月の1週間を無料で過ごせると知って申し込んだ。私以外の日本人は、北海道や広島や四国など各地からこのために来ていた。

その1週間は三食付きの寮のような場所に住んで工場や美術館や市庁舎や海岸などを見学し、サッカーやボートなどで遊ぶ実に愉快な1週間だった。ほかの地方からのフランス人は30歳前後の大人で、地元からは20歳前後の悪ガキだった。日本から来たのは30歳前後の女性が多かった。私はそのうちの1人と仲良くなった。

|

« 『すべての夜を思いだす』の描く多摩ニュータウン | トップページ | 中国やフランスに憧れた日本の画家たち:その(1) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『すべての夜を思いだす』の描く多摩ニュータウン | トップページ | 中国やフランスに憧れた日本の画家たち:その(1) »