中国やフランスに憧れた日本の画家たち:その(1)
最近見た美術展で驚いたのは、明日まで出光美術館で開催の池大雅展。「生誕300年記念」というから18世紀、江戸中期の画家である。彼の絵はすべて中国風の文人画というか山水画で、炭絵の具を中心に時にかすかな色彩が混じる。
チラシには「中国の文化に深い憧れを抱き、遠い中国の名勝に思いをはせた大雅は、叶わぬ渡唐を夢見つつ、四季が彩る日本の自然に遊び、見たことのない中国のモデルとしました」。
描かれている多くは中国の風景だが、画家は一度も中国に行ったことがない。鎖国の江戸時代には夢見るだけだ。では何を参考にして描いたのかと言えば、中国から輸入された山水画やそれらを印刷した本のようだ。本が数冊展示してあったが、大雅の絵よりもずっと小さなサイズ。それを、ためつすがめつ見たのだろう。
あとは日本国中を見て回り、それを中国風に表現したようだ。実は富士山とか浅間山とか那智の滝とか日本を描いた絵もあった。しかしそれらもほとんど中国の風景のようにしか見えない。中国といっても、すべて岩山とそこに生えた木々とたまに住む人が2、3人いるだけ。
普通の家はなく、山の上に仙人が住むような六角の館があるだけ。だから都会の風景も田舎の生活もない。あらゆるリアリズムを捨てて、書画で目にした中国の山の風景を和風に繊細に描き続ける。その絵は300年後の私にも快く見えるけれど、何とも複雑な気持ちになってしまった。
この展覧会の後に見たのが、5月12日まで国立西洋美術館で開催の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」だったので、この複雑な思いは増幅した。これは西美で初めての日本の現代美術展で、入口になぜ「西洋美術館」で日本の作家を見せるのかが書かれていた。
西美を作るきっかけとなったのは、松方幸次郎がフランスに所有していたコレクションが戦後に日本に帰ってきたことだが、松方がもともと日本で美術館を作ろうとした意図は以下の通り。
「日本に何千人の油絵描きがいながら、その人たちはみんな本物のお手本を見ることができずに、油画を一生懸命に書いて展覧会に出している。私はそれが気の毒なので、ひとつわしがヨーロッパの油画の本物を集めて、日本に送って見せようと思っている」
ちょうど江戸時代の池大雅が中国に憧れたように、明治以降戦前の日本人の洋画家はまだ見ぬパリに憧れた。鎖国ではないので、藤田のように実際に行くことのできる画家はいたが、限られていた。そこでみんなに本物を見せようという「善意」である。
松方が望んだ「共楽美術館」は図面まであるのに世界大恐慌による川崎造船の破綻で実現できなかったが、結果として西美ができたわけだから彼の意図は叶えられたと言えるだろう。そして今回の展覧会は現代日本の美術作家にとって西美とは何かを問いただしているが、これはかなり苦しい展示となった。具体的には後日(たぶん)書く。
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