『ラジオ下神白』が見せる人々
小森はるか監督のドキュメンタリー『ラジオ下神白』を劇場で見た。この監督は『息の跡』(2016)が抜群におもしろかったので、その後の作品を続けて見ている。『息の跡』もそうだが、どれも東北大震災のその後を追ったものだ。
小森はるか監督のドキュメンタリー『ラジオ下神白』を劇場で見た。この監督は『息の跡』(2016)が抜群におもしろかったので、その後の作品を続けて見ている。『息の跡』もそうだが、どれも東北大震災のその後を追ったものだ。
昨年末に浅田彰著『構造と力』が文庫になったので、ようやく買った。原著が出たのが1983年9月というのは、よく覚えている。7月に集中講義で1週間やってきた中川久定京大教授が、打ち上げの時に話題にしたからだった。
4月21日に終わったが、練馬区立美術館の「池上秀畝」展がおもしろかった。この美術館は私の勤務先に近いので少し時間ができた時によく気分転換に行くが、この展覧会は「高精細画人」とか「私は新派でも旧派でもない」というキャッチが気になった。
アンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』を見た劇場で見た。私はてっきり大林宣彦監督の『異人たちとの夏』のリメイクかと思っていたが、山田太一の原作小説が英訳されていて、そこからの映画化という。私は大林版はテレビ放映かレンタルビデオか映画館以外で見たが、途中からどこか乗れなかった記憶がある。
この4月15日に亡くなったアプラさんのことをもう少し書く。彼が2001年秋から翌年初めにフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で開催した「イタリア映画大回顧」のイタリア側の責任者だったのは、当時、チネテーカ・ナチオナーレの所長だったから。
5月25日公開の代島治彦監督『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ』をオンライン試写で見た。私は試写は会場に行くのを原則としているが、これは日程が合わなかった。私の教える大学で学生向けの試写をする話もあり、オンラインで見ることに。
イタリアのアドリアーノ・アプラさんが亡くなった、と書いてもほとんどの日本人にとっては「誰、それ?」かもしれない。ストローブ=ユイレの『オトン』(1970)の主役と書いても、「ああ」と言う人は多くはないだろう。
ソフィア・コッポラの『プリシラ』を劇場で見た。この監督はある種のセンスでセレブの空気感を描くのに長けているが、今回はエルビス・プレスリーの元妻のプリシラ(ケイリー・スピニー)の若き日々を追いかけた。彼女の14歳から10年くらいの物語である。
彫刻家の舟越桂さんが3月29日に72歳で亡くなった。すぐにここに書くことをためらったのは、あれだけ有名な方だし、自分はほんの短い期間、接触しただけだったから。ところが今朝の「朝日」で酒井忠康さんによる追悼文を読んでいたら、いろいろなことが蘇ってきた。
極端に長いイタリア映画には、妙に魅力がある。ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(1976年)は、1900年に始まって1945年の敗戦までを2人の青年を中心に描く5時間16分の壮大な叙事詩である。正確に言えば、最後には1970年代の「現代」も少しだけ出てくる。
一昨日の「朝日」朝刊1面トップは「国立大法人化20年 本社調査」だった。2004年4月に国立大学が法人化され、20年がたつ。「朝日」が学長にアンケートを送ったところ、15%が「悪い方向に進んだ」、52%が「どちらかと言えば悪い方向に進んだ」。つまり67%、7割近くが失敗だったと答えている。
くどいが、2月に見た清水宏についてもう一度だけ書く。大戦末期に松竹蒲田を追い出された清水は、自主制作を経て東宝・新東宝で数本作った後、1956年に大映に移って6本の作品を残した。そのうち、DVDになっているのは京マチ子と淡島千景に船越英二というスターが揃っている『踊子』だけ。配信もなければ、過去に衛星放送などでの放映も少なく、これは本当にもったいない。
この日記は作家の高見順が1945年の1月から12月まで書いたものだ。当時この作家は鎌倉に住んでいた。驚くのは毎月、月に10回ほど東京に出かけていることだ。日記では「文報」と略される「文学報国会」の委員を務めていたこともあるが、行くたびにまだ残っているカフェや飲み屋を探して酒を飲んでいる。
クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を劇場で見た。去年の7月にアメリカで公開が始まって、早く見たいと思っていた。ノーランが原爆を開発した物理学者を描くなんて、それだけで刺激的だ。それに「オッペンハイマー」という名前の音の響きが、妙に気になった。
7日まで東京国立近代美術館で開催の「中平卓馬 火|氾濫」展を見た。中平卓馬と言えば、雑誌『PROVOKE』における「アレ・ブレ・ボケ」の街頭写真が有名だ。いかにも1960年代末の混乱した政治、社会状況を活写した写真を集めている。
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