中平卓馬からブランクーシへ
7日まで東京国立近代美術館で開催の「中平卓馬 火|氾濫」展を見た。中平卓馬と言えば、雑誌『PROVOKE』における「アレ・ブレ・ボケ」の街頭写真が有名だ。いかにも1960年代末の混乱した政治、社会状況を活写した写真を集めている。
この展覧会を見て、いくつもの知らなかったことがあった。彼はもともと雑誌編集者で、『現代の眼』に東松照明の写真を載せていたという。そのせいか、印刷物への執着が強い。1966年の『アサヒグラフ』に寺山修司が「街に戦場あり」という連載をしているが、そこにつけられたクレジットのない写真が中原によるものだった。
その後は名前入りだが、『アサヒグラフ』、『朝日ジャーナル』、『朝日カメラ』など「朝日」系雑誌(今はすべて廃刊!)の常連だった。展覧会の前半では紙焼き写真ではなく、雑誌そのものが並び、ページが見せられる。
1970年頃から映画評論家の松田政男の「風景論」がきっかけで、なにげない風景のなかに権力が潜むという理論が流行したのは都写美の展覧会「風景論以降」で見た通り。中平の写真はその代表で、ひたすら都市を凝視する。
彼が1971年のパリ・青年ビエンナーレに出品していたことも私は知らなかった。パリの街中をどんどん撮影して、印画紙ではなく普通の紙に印刷したものを何十枚も壁に並べて「サーキュレーションー日付、場所、行為」と題する。どうも普通の写真用の印画紙が嫌だったようだ。
1973年に『なぜ、植物図鑑か』でこれまでの写真を否定し、カラーで「普通の」写真を印画紙に焼くようになる。沖縄の極彩色の大判の写真があったりすると、もうかつての中平の「アレ・ブレ・ボケ」は関係ない。このあたりの展開の論理が正直なところ理解できなかった。
それから数日後、アーティゾン美術館で始まったばかりの「ブランクーシ 本質を象る」を見た。「象る」は「かたどる」と読むらしい。こちらは逆に端正というか、磨き込まれて極めて完成度の高いブロンズ像が並ぶ。理想の形を追求したような、純度や強度そのものが表象されている。
日本国内にこれほどブランクーシがあったとは。私の記憶だとこれまでブランクーシ展はなかったのでは。開催されているアーティゾン美術館のほか、横浜美術館や豊田市美術館などの常設で見ていたが、まとめて見ると全然違う。さらにパリのブランクーシ財団からも来ている。
欲を言えば、彫刻の数が少なすぎで、20点あまりしかない。後は膨大な写真が並ぶ。それに彫刻も磨かれたブロンズがほとんどで、写真に写っているような石膏や木の作品が少ない。これらがあったら、もっと生成過程がわかったような気がする。もちろん初めて見る初期作品とか絵画とか刺激に満ちた展覧会であることは間違いない。7月7日まで。
そういえば、1995年にパリのポンピドゥー・センターで見たブランクーシ展は彫刻が100点以上あったのを思いだした。カタログを持っていたはずと自宅の本棚を探すが、既に古本屋に売っていた。残念。
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