『異人たち』に自分の父を考えた
アンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』を見た劇場で見た。私はてっきり大林宣彦監督の『異人たちとの夏』のリメイクかと思っていたが、山田太一の原作小説が英訳されていて、そこからの映画化という。私は大林版はテレビ放映かレンタルビデオか映画館以外で見たが、途中からどこか乗れなかった記憶がある。
今回の英国版では主人公は40代のアダム(アンドリュー・スコット)で、ロンドンのマンションに一人で住んでいるが、同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)が訪ねてくる。「酒を飲もう」というのを最初は断るが、次第に仲良くなる。
アダムは12歳の時に両親を交通事故で亡くしているが、ある時その両親をテーマに脚本を書こうとかつて住んだ郊外を訪ねる。すると近くに中年の男がいて、ついてゆくとある家にたどり着いた。そこには30年前の両親がいて、今の自分との会話が会話が始まった。
「どんな仕事をしてるの」「物書き」「小説家なんてすごいじゃない」「いや。映画やテレビの脚本を書いている」「かっこいいじゃないか。どこに住んでいる」「ロンドン」「何と、ロンドン市内に家を買ったのか」「マンションだけど」
そんな感じの会話を聞きながら、私はすぐに自分の亡くなった父親のことを考えた。彼が亡くなった年に達した今の私が彼と話したら、と想像した。「今、何してるんだ?」「大学の先生」「すごいじゃないか」「東京に住んでいるのか」「うん、マンションを買ってね」「地方から出てきて大変だったろう」「最初は苦しかったけど、何となく、どうにかなった」
そんな平和な会話にはならなかっただろう。たぶん父は自分のことばかり話し、私のことはあまり聞かなかったかもしれない。しかし「大学の先生」という言葉にだけは、父は強く反応しただろう。彼はなぜか「先生」が好きで、私が中学か高校の先生になれたらと望んでいたと思うので。
映画では母との会話も大事だが、私の母は4年前に亡くなったので、そういう感じにはならない。亡くなる5年前くらいから病院や施設にいたので、年に何度も会って話をしていたから。
映画ではアダムもハリーもゲイで、2人は次第に接近して愛し合う。両親はしきりと結婚していないのか、恋人はいないのかと聞くので、アダムは意を決して自分がゲイであることを伝えた。1980年代後半の両親にとって、それは大きなショックだったが、何とか理解しようとする。
同性愛の設定が原作とも大林版とも違う点だが、今の映画としては実にしっくりと来る。というより、いかにもありそうな現代の話に落ちてゆく。ところが見ている私は自分の父親のことばかり考えたこともあって、巧みな脚本がむしろ気に障ってしまった。ある種のアート系観客に向けたうまい設定の映画だけれど、私にはあまり響かなかった。
最近、5月25日公開の代島治彦監督『ゲバルトの杜』とか8月5日公開のマルコ・ベロッキオ監督『夜のリハーサル』(仮題)などの「激しい映画」を見たせいか、この映画とか『プリシラ』はどうしても「薄いお味噌汁」のように思えてしまう。
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