国立大学法人化20年
一昨日の「朝日」朝刊1面トップは「国立大法人化20年 本社調査」だった。2004年4月に国立大学が法人化され、20年がたつ。「朝日」が学長にアンケートを送ったところ、15%が「悪い方向に進んだ」、52%が「どちらかと言えば悪い方向に進んだ」。つまり67%、7割近くが失敗だったと答えている。
私が大学に移ったのは2009年だから既に国立大学は法人化されていた。それからすぐに東大教授で作家だった松浦寿輝さんが、「大学教員の仕事に最近は雑務が増え過ぎた」ことを理由に東大を辞めたことは鮮明に覚えている。
私は雑務が既に増えた時代に教員になったので、会社員に比べたらぞれでもラクチンだと思って苦笑した。昔はどんなに自由な時間があったのだろうかと想像した。私は基本的には学問は自由な時間があるから発展すると思うし、「朝日」に書かれていたように日本の論文の引用率がこの20年で世界4位から13位に転落したとすると、やはり大学の独法化は間違っていたと思う。
また思い出したのは、大学に移ってすぐの頃の岡山大学でのできごと。そこで教えている学生時代の先輩に頼まれて講演に行った。「フランス語は仕事に役立つ」という話をしてくれという内容だった。その時に言われたのは、文部科学省の指導でフランス語の授業が減っているということと、大学が独立行政法人化して学長が強い権限を持つので、科学研究費申請の義務など雑務を増やしているということだった。
「では科研費の申請をしないとどうなりますか」と聞いたら「ボーナスの査定を減らす」と言われて「普通の会社みたいじゃないですか」と驚いた。科研費というのは私も昔2度申請したことがあるが(落ちた)、書類を書くのに膨大な時間がかかる。それに時間をかけるくらいなら、謝礼の出る原稿や売れる本を書いて稼いだ方がいい、というのが今の私の結論。
国立大学は独法化以降、毎年運営費交付金を減らされている。その分、科研費を始めとする競争的資金を増やして、「怠け者」(と思われている)の大学教師にはっぱをかける、というのが文科省の意図だった。単純な学長は大学全体として科研費ほか「競争的資金」をたくさん取ることが「成果」と考えた。
ところが20年たって7割の学長がそれは失敗だったというのだから、文科省は猛省すべきではないか。国立大学ほどではないが、私が教えている私立大学でも「競争的資金」獲得の要請はある。聞いてみると、根本は文科省の「圧力」のようだ。
私立大学の文科省による経常費補助金は予算の1~5%程度である。私の大学は不祥事を起こしてこの数年それももらっていないが、何とか学費も上げずにやっている。ならばもういらないから自由にする、と言えないのだろうか。授業の半期15回の義務化とか、シラバス(これは本来の英語の意味からかけ離れているらしい)通りの授業とか、この20年の文科省の「圧力」は理解に苦しむものが多い。
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