『関心領域』はおもしろいか
ジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』を劇場で見た。第一印象としては、21世紀らしい新しい映画、という感じ。『哀れなるものたち』や『落下の解剖学』などと同じく(ベクトルは違うが)、今だからこそ作られる映画だと思った。
ジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』を劇場で見た。第一印象としては、21世紀らしい新しい映画、という感じ。『哀れなるものたち』や『落下の解剖学』などと同じく(ベクトルは違うが)、今だからこそ作られる映画だと思った。
樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読んだ。この著者は元「朝日」の記者だが、面識はない。ただ『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』は読んでいた。今回買ったのは文庫になったからだが、これを原作とした公開中の映画『ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ』と比べたかった。
昨日昼過ぎに麹町のイスラエル大使館に行ってみた。「殺すな ガザ地区停戦緊急行動」が13時からとフェイスブックで読んで、麹町なら自宅から近いと出かけた。「デモ」のたぐいに行くのは安保関連法案阻止で国会前に行った2015年以来か。
白石和彌監督の『碁盤切り』を劇場で見た。この監督は『孤狼の血』シリーズのようなヤクザものを描くのがうまいが、さて時代劇はどうだろうかと気になった。結果はいいような悪いような、コテコテに映像に凝って江戸時代の日本情緒で魅せる方法を選んでいた。
東京国立近代美術館で始まったばかりの「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」展を見た。これはパリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館の所蔵作品をテーマごとに並べたもので、平凡なようだがそうではない。
5月25日公開の代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の試写を大学でやり、学生と見ることになった。前に見たのは小さなパソコンだったが、今回は大きな画面でかつ70名ほどの学生と見るからだからだいぶ違った。
マルコ・ベロッキオ監督の『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を劇場で見た。既に試写で見てここに書いたが、出てくる俳優たちに興奮してどうも内容がどこかに行ってしまったので、もう1度見ることに。
横浜トリエンナーレに今年も行った。もはや「現代美術」はわからなくなったと思い始めて7、8年になるが、まあ横浜は近いし行っておくかと思って天気のいい平日に出かけた。今年のディレクターは、リウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーの中国人2人だという。
最近は封切る映画の本数が年に1200本以上と増えているせいか、始まって2週間たつと劇場を探すのが大変になる。そんななかで1月に公開した山下敦弘監督『カラオケ行こ!』がまだやっていると聞いた。興収が8億近いとも聞いて見てみようと思った。
三上智恵監督のドキュメンタリー『戦雲(いくさふむ)』を劇場で見た。この監督は『標的の村』(2013)を以来、見続けている。沖縄には1度しか行ったことのない私にとって、彼女の映画を見るのはある種の義務のような気がするから。
前に国立西洋美術館で5月12日まで開催の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」について少し触れたが、くわしく書くのを怠っていた。「朝日」の5月7日(火)夕刊で大きな評が出ていたので、急に思いだした。
イタリア映画祭では結局3本しか見なかった。既に書いた『僕はキャプテン』のほか『ルボ』と『グローリア!』。『ルボ』は『やがて来たる者へ』(2009)が日本でも劇場公開されている、ジョルジョ・ディリッティ監督の新作だが、ちょうど3時間で見応えたっぷりで、上映後は拍手もあった。
森永卓郎著『ザイム真理教』を読んだ。この著者はかつてはよくテレビで見ていたが、最近はテレビを見ないのでわからない。その時の彼の発言は極めて真っ当な気がしていた。最近、末期がんとのことで、その写真もネットで見た。
イタリア映画祭が開催中だ。今年が24回目というからすごい。ここに何度も書いたように、この映画祭は2001年に私が立ち上げたが、その時は1回限りのはずだった。「日本におけるイタリア年」の企画だったが、イタリア年は2002年春まで続いているので翌年もやってくれと大使館に言われて、やることになった。
連休に上野で展覧会を2つ見た。1つは東京藝大美術館で5月19日まで開催の「大吉原展」で、これは抜群におもしろかった。この展覧会は始まる前から「売春を肯定するのか」と批判されていたが、展覧会を見るとそれは見当違いであるとわかる。
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