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2024年5月28日 (火)

『彼は早稲田で死んだ』を読む

樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を読んだ。この著者は元「朝日」の記者だが、面識はない。ただ『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』は読んでいた。今回買ったのは文庫になったからだが、これを原作とした公開中の映画『ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ』と比べたかった。

最初手に取った時は、あの映画はこの本に出ている人たちにインタビューしただけではないか、と一瞬、思った。それまでの代島治彦監督の『彼が死んだ後で』(2021)などに比べると、当時の同級生を探す必要がないからラクだろうと。ところがよく読むと、本と映画はちょっと違う。

この本は2020年1月に著者が田中敏夫氏を訪ねるところから始まる。何とか高崎市の自宅にたどり着くと、初老の女性が出てきていきなり「あなたは革マル派のかたですか」と尋ねる。違うと言うと「それでは中核派の方?」。否定すると「それなら、刑事さんなの?」。

これが前年に亡くなっていた田中敏夫氏の妻で、この3つの問いかけに彼の人生が凝縮されている。田中氏は1972年、川口大三郎事件が起きた時、革マル派が支配していた早大文学部自治会委員長だった。彼は投獄されて大学を除籍になって故郷に帰った。

「出所後、田中さんは、学生運動から距離を置き、故郷で、世捨て人のように、ひっそりと生きた。そして自らの心の中に抱え込んできたものを、誰にも見せることなく、この世を去った」。奥さんが「でも、私にも、彼は最後まで、心を開くことはありませんでした」と言うのだから。

この田中氏が『ゲバルトの杜』に数秒出てくる。当時の映像で、川口君の死から数日後、約3000人の学生に囲まれて「謝れ」と小突き回される。音はないが、彼はマイクを持って何とか説明するが、マイクを奪われる。この本を読むと、その姿が何ともかわいそうに見えてくる。

この本には、大学当局が警察に「革マル派の救出要請」を出していたことが書かれている。それもすごい話だが、それがないと田中さんはこの時殺されたかもしれない感じがあの映像にはあった。

それから数日後、「川口君追悼学生葬」が開かれる。なんとそこに田中氏は1人で現れる。残念ながらその映像はないが、当時の新聞で彼が川口君のお母さんに謝っている写真が映画で写し出される。そこでのお母さんの挨拶は映画にはないが、本には書き起こされている。

「わたしは大三郎という宝をなくしました。その宝をなくした今となっては、余生には希望も何もありません。しかし、残る余生を大学の怠慢と『革マル』の暴力追放のために闘います。大三郎がほれにほれぬいたワセダ精神を一日も早く取り戻してください。二度と暴力のないワセダ精神を」

本を読んでいて、泣きそうになった。本には本のよさがある。最後は絵を描いていたという田中氏の人生について考えたのも本を読んだから。映画を見た人は本も読んで欲しい。この本にも映画にも「歴史修正主義」という批判があると聞いた。最初は意味が分からないと思ったが、やはり当時渦中にいた人たちの思いは複雑なのかも。

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