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2024年5月20日 (月)

学生と見る『ゲバルトの杜』

5月25日公開の代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の試写を大学でやり、学生と見ることになった。前に見たのは小さなパソコンだったが、今回は大きな画面でかつ70名ほどの学生と見るからだからだいぶ違った。

一番思ったのは、DCP上映のクリアな映像と音を大きなスクリーンで見ると、当時のことを語る中年たちの姿が真に迫って来ること。彼らは革マル派に殺された川口大三郎さんのことをまるで昨日のことのように克明に話す。自分が部落問題を川口君に教えたことで、「彼が中核派と関わる縁を作った」と後悔する男性に始まって、みんなよく覚えている。50年前のことを背負って生きて来たことが身に沁みて伝わる。

ある男性は、わざわざ当時の中核派幹部に2016年に会いに行って、彼が中核派でないことや、中核派だと密告した学生がいたことの証言を聞いて文章に起こしていた。会いに行った4人でその文章の内容を確認もしたとして、訥々と読み上げる。別の男性は川口君と映画を見に行った後に喫茶店で彼が「中核も革マルも同じですよね」ことを思いだす。

映画は途中から樋田毅氏の話が中心になる。この映画の原作『彼は早稲田で死んだ』の著者で、2年生の川口君が殺された年に入学し、その後革マル派から離れた新しい自治会を作る中心となるが、次第に挫折してゆく。彼はこの本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した時のスピーチでこう述べる。

「この悲劇を招いた正しい暴力という主張は世界中で跋扈しています。たとえば戦争も国家が認めた正しい暴力なんです」

その時に私の後ろで「そうか」というつぶやきが聞こえた。たぶんどこか遠い話として見ていた学生が腑に落ちた瞬間だったのではないか。もう1回別の学生からそういう声がしたのは、内田樹氏が三里塚のデモに行った時に、千葉の駅前でみんながおでん屋に立ち寄って数を頼んで食い散らしてそのまま逃げた話をして「大義名分があると思うと非人間的なことを抑制できない人間がこんなにいる」と言った時。

「うん」と頷く声がした。やはり証言だけではなくてこうした解説があるから、この信じられない殺人が今の学生にも訴えかける。学生と見ると、だんだん自分も今の学生の気持ちを共有していくのがわかる。終盤、映画は早稲田から離れて神奈川大や東大の内ゲバに触れる。私は学生が退屈しないか心配になった。

映画が終わって監督との質疑応答が始まった。複数の学生が、当時の殺人を今の若者が再現した場面の後に、オーディションやリハーサルや池上彰氏による出演者の勉強会のシーンがあったのでよかったと述べた。これがあったので、今の学生がどうにかリアリティを感じることができたようだ。

3名ほど映画の途中で帰った学生がいたが、最後まで見た学生の多くの心に強い印象を与えたことは、鑑賞後のアンケートでもよくわかった。こういう上映会はいろいろ面倒だけど、やはり続けたい。

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