『エドガルド・モルターラ』をまた見る
マルコ・ベロッキオ監督の『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を劇場で見た。既に試写で見てここに書いたが、出てくる俳優たちに興奮してどうも内容がどこかに行ってしまったので、もう1度見ることに。
基本的には、19世紀半ばにボローニャのユダヤ人の子供が略奪されて、ローマに連れて行かれて教皇のもとでカトリック教育を受けるという話である。映画を見るだけではなぜエドガルド・モンターラが選ばれたのかはわからないし、連れて行かれた理由がベビーシッターが私的に洗礼を施したという理由もあまりピンと来ない。
とにかくエドガルド少年はローマ教皇の命令で略奪され、両親の懇願やユダヤ人コミュニティの運動にも拘わらず、教皇領に留め置かれる。そして青年になるとそのままキリスト教徒になり、母親の死に際しても洗礼しようとさえする。
エドガルドにとって、両親にとって、ユダヤ人たちにとって、ローマ教皇とその取り巻きにとっての一大事が、激しい音楽と共に、ドンドン展開してゆく。しかし結局のところ、エドガルド少年が周囲の環境の変化に応じてユダヤ教徒からキリスト教徒に鞍替えしただけの話ではないか。
日本人にとってはその2つの宗教は似たようなものだから、ユダヤ人にしてもローマ教皇とその取り巻きにしても、あれほど大騒ぎする理由がよくわからないかもしれない。
さらに日本人にとっては、イタリアの国家統一運動(リソルジメント)が背景にあるから、いよいよわかりにくい。1868年にボローニャで「イタリア万歳」を叫ぶ兵士たちが教会でフェレッティ司祭を糾弾するのも、1870年にローマでピア門を打ち破ってイタリア軍がヴァチカンに侵入するのも、国家統一運動の最終段階でローマ教皇領をイタリア共和国に接収するためである。
この「ローマ奪還」は、実は1905年、イタリアで作られた最初の劇映画で描かれている。最初に映画のテーマにするほど、これはイタリア人にとって極めて重要なできごとだったに違いない。それまで長い間、ナポリ王国とかベネチア共和国とか10くらいの国に分かれていたのが、初めて「イタリア」の名の下に1つの国になったのだから。
そしてこの映画はベロッキオらしく最後まで容赦ない。エドガルドは青年になるとローマ教皇の前で緊張して粗相をする。あるいは教皇の死に際して、市民と共に「テベレ川へ投げてしまえ」と叫んでしまう。つまり精神的には右往左往している。しかし母親には洗礼しようとするし、その後も司祭となって生きたとクレジットに出る。
途中で母親が会いに来た時にエドガルドが精一杯の愛情を見せるシーンはたぶん一番泣かせるが、この映画はあえてその方向に行かず、悲しいだけの事実を伝えてゆく。たぶんローマ教皇の怪しさや宗教そのものの残酷さを見せるために。この生々しさがベロッキオらしく、19世紀の話を現代に繋げる。
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