三島喜美代展に考える
7月7日まで練馬区立美術館で開催中の「三島喜美代 未来の記憶」展を見た。たまたま「朝日」で彼女が91歳で亡くなったという記事を読んだから。この美術作家の名前はよく憶えている。新聞紙面を陶器の形で立体化した作品と共に。
7月7日まで練馬区立美術館で開催中の「三島喜美代 未来の記憶」展を見た。たまたま「朝日」で彼女が91歳で亡くなったという記事を読んだから。この美術作家の名前はよく憶えている。新聞紙面を陶器の形で立体化した作品と共に。
だいぶ前から「朝日」の朝刊に、鷲田清一の「折々のことば」がある。かつてここには大岡信の「折々のうた」が連載されていて、時々別の筆者の「折々の花」などもあったと思う。「折々のことば」が始まった頃は全くダメだと思ってきちんと読まなかったが、最近は妙に気になる。
ヴィム・ヴェンダース監督『アンゼルム ”傷ついた世界”の芸術家』を劇場で見て、大いに楽しんだ。それは私がアンゼルム・キーファーというドイツの美術作家が大好きだから。最初に彼の作品を見たのは、1993年、今はなき「セゾン美術館」で「メランコリア―知の翼」の副題で大きな個展が開かれた。
昨日の「朝日」朝刊オピニオン面に「「さん」「くん」隠れた意味」という大きな記事があった。それを読みながら驚いたのは、最近は小・中学校ですべて「さん」に統一しているらしいこと。もちろんそれはジェンダー意識の表れで、女子は「さん」、男子は「くん」と区別するのはよくないということらしい。
7月26日公開のリッカルド・ミラーニ監督『幸せのイタリアーノ』を試写で見た。この監督は『これが私の人生設計』(2014)で女性建築家の苦労をユーモアや恋愛も含んで巧みに描いていた。「作家性」というよりは、観客みんなを楽しませるタイプだった。
先日、福岡に行った時、飛行機に乗るために朝8時15分頃に地下鉄に乗った。いつもはもっと遅いし、大学は都心と反対方向なので混まない。ところがその日は有楽町線で有楽町へ向かった。すると大混雑で、まず乗るのに一苦労だった。
黒沢清監督の『蛇の道』を劇場で見た。実はこれは監督自身が1998年に作った同名の映画のリメイクだが、違いは今回はフランスが舞台で日仏の俳優が出演していること。私は旧作を見ていないが、十分に楽しんだ。
前田啓介著『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』をようやく読んだ。抜群におもしろい。1月に出版されて話題になっていたが、どうも読む気が起こらなかったのはなぜだろうか。
この2、3年前からふと考えるのが、「自分の世代は逃げ切った」ということ。世界には戦争があちこちで勃発し、気温はあがって温暖化は進む。もはや日本は亜熱帯だ。プラスチックごみや二酸化炭素の排出は世界を覆う。SDGsなんて口だけで、実際は無理だと誰もがわかっている。
ジョージ・ミラー監督の『マッドマックス:フュリオサ』を劇場で見た。前作の『マッドマックス:怒りのデスロード』(2015)があまりによかったから。しかしながら、同じ日に封切った『バティモン5』と同じく、前作の方がはるかによかった。
私が自分の金で「贅沢」をするようになったのは、割に最近のこと、たぶん、5、6年前からではないだろうか。昔から高いホテルに泊まったり、高級レストランに行ったりしたが、多くは会社の経費で一部か全部を払っていた。
7月19日公開のアリーチェ・ロルヴァケル監督『墓泥棒と失われた女神』を試写で見た。最近は試写を配信で見る人が増えて、試写室は満員になることがまずない。ロルヴァケルの「魔術」は小さなパソコン画面ではわかるまい、とは思うのだが。
ラジ・リ監督の新作『バティモン5 望まれざる者』を劇場で見た。この監督はとにかく『レ・ミゼラブル』(2019)があまりに強烈で、それをあちこちに話していたら監督が来日した時にインタビューする機会に恵まれたほど。
久しぶりに福岡に行った。たぶん2020年1月以来ではないだろうか。その前年に母が亡くなって一周忌だったと思う。それからコロナ禍ですべてが停止し、旅行できなくなった。2年ほど東京に居続けて、2年前に学会で京都や大阪に行った。昨年は映画祭のために、新潟と山形。
自宅近くの名書店「かもめブックス」で見つけた『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短編集』がおもしろかった。なぜ買ったかというと、「佐久間文子編」と書かれていたから。佐久間さんは昔、私の短い記者時代の同僚だった。
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