戦前の日本映画における「偉くなる」について
最近、大学院の授業で日本のサイレント映画を扱っている。そこで気になるのは子供に「偉くなる」ことを説くシーンが多いことだ。小津安二郎が初めて「キネマ旬報ベスト・テン」で1位になった『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』(1922)は、大人の社会を子供の目から見たことで有名な作品だ。
父親(斉藤達雄)は専務(佐藤武)の覚えをよくするために近所に引っ越す。子供が新しい学校に行かないと父親は「学校へ行って偉くなろうとは思わないのか」と言う。勉強をすれば誰でも偉くなれるという状況が、明治以降に次第に広がって昭和初期にはかなり普及していたのではないか。
ところがある日専務の息子・太郎の家の映画上映会で写された映画で、子供たちは自分の父親が専務に媚びを売って間抜けな表情をしているのを見て失望する。「お父ちゃんは僕たちに偉くなれと言っているくせに、偉くないんだね」「大人になって太郎ちゃんの家来になるくらいなら学校やめたい」
父親は夜、妻に言う。「この問題はこれからの子供には一生ついて回る」。寝ている子供には「僕のようなやくざな会社員にはならないでくれよ」とつぶやく。喜劇に見せながら、この過酷さは小津らしい。この映画の翌年『出来ごころ』も、さらに34年の『浮草物語』も1位。
『浮草物語』は旅役者の喜八(坂本武)が信州に行き、子供を産ませたかつての女(飯田蝶子)を訪ねる。高校生になった息子には「お前さえ偉くなってくれればいいんだよ」と言い、女には「倅は偉い奴にしてくれよな」と頼む。絶対に自分のような旅役者になって欲しくないのだ。
小津の『出来ごころ』が1位の時に2位になったのが、溝口健二の『滝の白糸』。これは「滝の白糸」という芸名で売れっ子の芸人の女(入江たか子)が馬丁の青年(岡田時彦)と出会い、一目惚れする。入江は岡田が東京で法律を学ぶためのお金を用立てる。岡田は大学を出て検事代理となって、罪人となった入江と再会する。
溝口の『折鶴お千』(1935)では悪党の情婦・お千(山田五十鈴)が、医学を学びたいが金のない青年を援助し、青年は医者になる。こちらは芸人ではないが、情婦という社会からは蔑まれた存在が学問を目指す青年を助けるという構造は同じ。
学問がこれほど重んじられ、それがそのまま「偉い」人につながるとは、今では考えられない。そもそも「偉くなる」は今では誰も目指していない。私が小学生の頃、つまり1960年代はまだ図書館には「偉人伝」のような本が並んでいた。
たまたま手にした三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』によれば、この傾向はどうも明治からで、ニュートンやワシントンなどの「偉人」の伝記をまとめたスマイルズの『西国立志伝』が出たのが1871(明治5)年で100万部以上売れたという。
「偉くなる」ことへの願望は、とにかく明治からたぶん昭和40年くらいまではあったのではないか。それが昭和初期の映画にこれほど集中していることに改めて驚く。それも芸人や情婦が、好きな息子や恋人が「偉くなる」ことを切望するというメロドラマに仕立てるとは。
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