三島喜美代展に考える
7月7日まで練馬区立美術館で開催中の「三島喜美代 未来の記憶」展を見た。たまたま「朝日」で彼女が91歳で亡くなったという記事を読んだから。この美術作家の名前はよく憶えている。新聞紙面を陶器の形で立体化した作品と共に。
最初に勤めた国際交流基金では、1年半の総務課勤務の後に美術部門に配属になった。映画部門を希望したが、官僚的な組織の常ですぐに希望の部署には行けなかった。ところがこの美術の仕事が、予想外におもしろかった。
先日亡くなられた舟越桂さんたちとサンパウロ・ビエンナーレに行ったり、文化庁の専門家の方と共に美術梱包車に乗って奈良のお寺に彫刻を借りに行ったり。サンパウロの場合は当時鎌倉の近代美術館の学芸課長だった酒井忠康さんが作家や作品を選んだように、おおむね専門家の言うとおりに動き、飛行機や運搬や展示設営の手配をするのが仕事だった。
2年に1度のビエンナーレのような定期的な仕事でなければ、大英博物館から鎌倉彫刻展をやりたいという要望が届いたように、海外からの要望を国内の専門家につないでその間を行ったり来たりすることが多く、自分で企画することはなかった。
ところがそれと別に「巡回展」という仕事があった。これは国際交流基金自体で現代の作品を購入して、世界を巡回させるもの。巡回先は美術館ではなく、海外の日本文化センターとか文化会館などが多く、手軽に展示ができる必要があった。
当時あったのが「日本の凧と独楽展」とか「日本建築写真展」とかで、私が担当したのは新しく作る「日本のクレイ・ワーク展」と「日本のプリント・ワークス展」。もちろん私がそんな企画をできるわけはなく、矢口國夫さんという先輩がコンセプトを考えて専門家に頼んで作家を選んでいたので、その後の作品購入と写真撮影、輸送などが新人の私の担当となった。
前置きが長くなったが、三島喜美代さんの新聞紙面を陶で作った作品は「日本のクレイワーク展」にあった。三島さんを扱っていた画廊に行って、彼女と話し合いながら作品を決めた気がする。こちらは「壊れにくい」「運びやすい」「展示しやすい」「大きすぎない」だけが基準だったが、何とか作品を購入することができた。
これは画廊にも作家にも喜ばれて実に楽しい仕事だった。各国版のリーフレットも作った。先輩の矢口さんは後に東京都現代美術館の学芸部長になったような専門家で、学ぶことも多かった。そんな美術の仕事を2年やったおかげで新聞社に転職することになったので、人生、何が起こるかわからない。
三島喜美代さんの展覧会については、後日書く(かも)。
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