お金の話:その(1)
私が自分の金で「贅沢」をするようになったのは、割に最近のこと、たぶん、5、6年前からではないだろうか。昔から高いホテルに泊まったり、高級レストランに行ったりしたが、多くは会社の経費で一部か全部を払っていた。
昔の方が高い服を買っていたが、これは単に仕事のため。カッコいい背広を着て洒落た皮靴や鞄を身につける方が、仕事がしやすかった。少なくともそう思っていた。ところが大学の教師は、背広も革靴も鞄もいらない。給料は減ったが、10万円の背広や5万円の靴や2万円のネクタイなどを毎年買わないでいいから、お金はかからない。
その分、おいしいものが食べたいと思ったら多少高い店にも遠慮せずに行くようになった。あるいはデパートでほんのちょっと高い漬物や佃煮を買うようになった。また、学生と飲みに行くとできるだけ全部払うようになった。
その代わり、スーパーで肉や野菜や果物を買う時は、複数の店の値段をきちんと比べる。同じ産地の見た目が同じじゃがいもが、店によって200円だったり300円だったりすることに気がつくと、もう止まらない。
さらに最近は「マイ・バスケット」のようなミニ・スーパーも侮れない。あれはチェーンのせいか、果物などずいぶん安いこともある。2、3年前から研究を始め、最近は商品によって買う店が決まってきた。例えばセロリはだけはなぜか「キムラヤ」が安くて立派であるとかに気がついた。
たぶん毎日食事を作るお母さんは、こんな知識が一杯に違いない。私がこういうことに気がついたのは、コロナ禍が始まった頃に本を出し始めて、できるだけ自分の時間を作るようにしたからかもしれない。授業を少し減らして大学に行く曜日を減らすだけで、ずいぶん違う。
それから映画を見る本数を減らした。本当に見たいものと頼まれて見るもの以外を見ないと、ずいぶん時間ができる。昨年9月末からこのブログを2日に1回にしたのも大きい。書く時間もかかるが、それ以上に何を書くか考える時間が減ったのがよかった。前にはブログのために展覧会を見に行ったことさえあったから。
本を書いていると、空いた時間の気分転換は買物が一番だ。安くていいものを買った時の満足感は、これまでと違う脳の部分を刺激する。外で食べるのに、自分が好きだとわかっているものを定期的に食べる幸福感もまたいい。
そんなこんなで60歳を過ぎて、かつての充実感とは異なる小さな幸せを感じる日々になった。
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