佐多稲子の短編を読む
自宅近くの名書店「かもめブックス」で見つけた『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短編集』がおもしろかった。なぜ買ったかというと、「佐久間文子編」と書かれていたから。佐久間さんは昔、私の短い記者時代の同僚だった。
元文学青年の私は小説家の名前は大量に記憶しているが、実は読んでいない方が多い。佐多稲子もその一人で、佐久間さんの解説の冒頭に「短編の名手として知られる」と書かれていた。彼女は1904年生まれで1998年まで生きているが、この本には20代から晩年までの作品が収められている。
最初の『キャラメル工場から』は1928年の作品だから、24歳の時。小学5年生の娘がキャラメル工場で働く話だが、冒頭のほんの短い文章に昭和初期の恐慌で苦しむ少女の現実が凝縮されている。
「ひろ子はいつものように弟の寝ている蒲団の裾をまくり上げた隙間で、朝飯を食べ始めた」。この出だしに、たぶん6丈一間くらいに何人もが折り重なって暮らしている様子が浮かぶ。無職の父親についてはこう語る。
「彼女の父親はある小都市の勤人だった。縞の洋服を着て倶楽部で球を撞いた。三、四年患って死んだ妻のまだ存命中に、彼は僅かの不動産も無くした」「しかし彼の上京は、お体裁やの彼が周囲から抜け出したことであった。方針や方向は一つもなかった」。大正デモクラシーの後の日本にはこんなお調子者の40代の男があちこちにいたのかもしれない。彼女が13歳で工場で働くようになったのは、父親が新聞で求人を見たから。
「「ひろ子も一つこれへ行ってみるか」/ある晩父親がそう言って新聞を誰にともなく投げ出した。茶碗を持ったまま新聞を覗いたひろ子は、あまり何気なさそうな父親のその言葉にまごついた。あるキャラメル工場で女工を募集していた。ひろ子はうつむいてしまい、黙ってむやみにご飯を口の中へつめこんだ。誰も黙っていた」
私は1933年の成瀬巳喜男の映画『君と別れて』を思いだした。吉川満子演じる芸者の息子(磯野秋雄)は母の仕事を恥じて不良になるが、ある時母の後輩の芸者・照菊(水久保澄江)に連れられて彼女の実家のある漁村に行く。その父親(河村黎吉)は働かず家で偉そうに酒を飲み、照菊にその妹にも芸者の職を探すよう依頼する。
河村黎吉はこういうダメ男が抜群にうまいが、こんな男は昭和初期でなくても、1960年代までは日本のあちこちにいたのではないか。佐多稲子の24歳の小説の数行の描写だけで、私の頭は「昭和の男」像へと向かった。
小説はひろ子がひと月ほど働いて電車代を考えたらほとんど賃金が残らないことがわかり、「盛り場のちっぽけなチャンそば屋」に勤め始めるところで終わる。そこで郷里の学校の先生から「学校だけは卒業するように」という手紙をもらい、「暗い便所の中で用もたさず、しゃがみ腰になって彼女は泣いた」。これでおしまい。
この短編集の紹介をしていたら何回でもブログが書けそうな気がするが、これにておしまい。
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