『おかしゅうて、やがてかなしき』を読む
前田啓介著『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』をようやく読んだ。抜群におもしろい。1月に出版されて話題になっていたが、どうも読む気が起こらなかったのはなぜだろうか。
それはたぶん学生時代に「傑作」とみんなが言っていたこの監督の『肉弾』(1968)を見て、どこかピンとこなかったからかもしれない。それから『ジャズ大名』(1986)を封切り時に見て、何がおかしいかよくわからなかった記憶がある。一番有名な『日本のいちばん長い日』(1967)はテレビで2度見ていたが、この監督だとは意識していなかった。
さてこの本の著者、前田啓介氏は読売新聞の文化部記者だが、論壇や近現代史の担当という。映画記者ならば名前くらいは知ってるが、「読売」は映画面のある金曜夕刊しか読まないせいか、この記者は知らなかった。
通常、映画監督研究には2つの道がある。あくまで作られた作品をテキストとして新しい解釈を加えるか、監督の実人生に立ち入ってその生き方や思想から作品を読み解くか。監督の人生を細かくたどるのは時間がかかる仕事なので、普通は最初のテキスト分析に適当に監督のインタビューなどを加えて中間地点を狙う場合が多い。
さて前置きが長くなったが、この著者は徹底して2つ目の実人生を探る手法を用いている。それも岡本喜八が映画を撮る前の戦争体験を調べ尽くしている。実は本全体の1/2を超す第3章までが、戦後21歳で東宝に復帰するまでの人生についてこと細かに述べる。
まず、彼の故郷である鳥取県米子市の調査から始まる。本人のエッセイ集をもとに実家や周囲について『米子自治史』(1939)や『米子商業史』(1990)、『山陰実業名鑑』(1911)、『米子商工案内』(1934)、『商工資産信用録』(1928)などを調べて父親・梅太郎の実像に迫る。これによって本人の「ぼくのからだのなかには、アルチザンの血が流れている」という言葉が証明される。
それから「戦中派」という定義についてもさまざまな日本史の研究書を引きながら、満州事変の起きた1931年に7歳で日米開戦の1941年に17歳だった岡本は最大の死傷者を出した世代に属することを示す。
これから上京して明大専門部に入り、卒業後東宝に入るわけだが、ここで著者はすごい「発見」をする。岡本喜八は島根県の足立美術館の創業者と仲がよかったためにシナリオを寄贈していたが、それを調査していて「最重要日記」と書かれた手帳を見つけたのだ。そこには1942年9月18日から1943年11月7日までの克明な日記があった。
後で書いたエッセイではなく、当時の手書きの日記の登場で、岡本の日々の詳細が蘇る。今日はここまで。新聞記者、侮るべからずである。
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