辻田希世子『ヴェネツィアの家族』に泣く
出たばかりの辻田希世子著『ヴェネツィアの家族』を読んだ。著者は知り合いで、ネットに少しずつ書いていたのを半分くらいは読んでいたが、読み通すとまた違う感じがあって、何度か泣いてしまった。
辻田さんは2001年に「イタリア映画大回顧」のために「朝日」の石飛徳樹記者とヴェネツィアでベルナルド・ベルトルッチに取材した時、通訳をしてもらったのが最初だと思う。私はその後も「イタリア映画祭」の準備のためにヴェネツィア映画祭に毎年通っていたので、2度ほど会って食事をした気がする。
彼女はイタリア人と結婚して子供がいるとは聞いていたが、流暢なイタリア語でリド島を駆け巡る彼女には、そのような家庭の匂いは一切感じさせず、実に爽やかで明るく前向きな女性に写った。
そんな彼女が離婚して娘を連れて帰国したと聞いたのは、私が「朝日」で短い間、記者をしていた時か。職場が近かったので、昼ご飯を食べに行ったと思う。ものすごく忙しそうで、ヴェネツィアの頃とは別人のように顔つきが違っていた。
さて『ヴェネツィアの家族』には、そんな私が外側からだけ知っていた辻田さんの内側というか、これまでに溜めていたものが、時間にろ過された形で訥々とシンプルに語られる。どこを取っても映画の一シーンのようで、絵になるというか、濃厚な物語が滲んでいる。
彼女はイタリアには12年いて、たぶん1年過ぎたあたりで結婚してヴェネツィアに住み始めた。そして帰国して今年で17年で小学校1年生だった娘さんは大学を出たと書かれている。つまり、17年たってようやくヴェネツィアの日々を落ち着いて振り返り、かけがえのないものとして見ることができるようになったのかもしれない。
本はいくつかの章に分かれていて、「潟のなかの暮らし」や「仕事」や「家族」など。どれも印象に残るエピソードばかりだが、私は「家族」の中の「真夜中のソリタリオ」に一番心を打たれた。これは義父の思い出で、深夜に彼がトランプの一人遊び=ソリタリオをしていたことから始まる。
ほがらかで快活な義父が、実はヴェネツィアの船会社を継いだがうまくいかず、人手に渡さざるを得なかったことを、筆者はだんだん知ることとなった。特に女王のように暮らしていた義父の母の死後、義母が語ってくれた。「夫は正直で気のいいひとだった。その点で、すでに事業家には向いていなかったかもね」
「長いあいだ、その孤独には届かないと思っていた。深夜のソリタリオは義父の専売特許だと。大きな喪失をしたひと、子ども時代につらい思いをしたひとのものだと思っていた。/しかし、年を重ねるにつれ、自分も夜、眠れないことが増えた。また若い頃には、愛し、愛される相手がいれば孤独から逃げられる、と思っていたが、そうでもないことを知った」
続きは後日また。
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