『フェラーリ』の「男らしさ」
学生の課題の採点と原稿書きの日々に疲れて気分転換に劇場で見たのが、マイケル・マン監督の『フェラーリ』。確かに終盤の「ミッレミリア」のレースは凄まじい迫力で、本当に自分がスポーツ車を運転しているような気分になった。
「ミッレミリア」とはイタリアで公道のみを1000マイル走るレースで、それこそ古い街の狭い道路から草原から海岸沿いまでイタリアの美しい景色の中をひたすら走る。現在ではクラシック・カーのレースとなっているようだが、当時は本当に速さを競って車同士がぶつかり合っていたのがこの映画でよくわかる。相当に無茶苦茶で危険なレースだと思った。
この映画は1957年、アダム・ドライバー演じるエンツォ・フェッラーリが、赤字を乗り切るために「ミッレミリア」で勝つことで売り上げを上げると宣言するところから盛り上がる。彼はすべてを自分で決定する。ドライバーの決定からレース中のドライバーの交換まで、すべては彼次第。
ポイントは、彼がペネロペ・クルス演じる妻とは不仲で、愛人との間に息子もいること。冒頭に早朝に愛人の家を抜け出し、そっと車で家に帰るシーンが出てくる。妻との間に息子はいたが前年に亡くなっていた。愛人は早く自分の息子を認知してフェラーリの姓にして欲しいと言うが、妻には隠し子の存在も告げていない。
会社は妻との共同経営で、彼女は夫の指示通りには動かない。愛人と隠し子の存在を知った後は、さらに強硬手段に出る。それに対してフェラーリは妻と愛人の両方に説明もせず、ひたすら寡黙に動きレースに打ち込む。だから見ていてずいぶん気まずい。
久しぶりに自分勝手な男がヒーローとして突き進む映画を見て、その古典的な「男らしさ」が懐かしかった。最近はこういう主人公はもういない。1957年当時のマッチョな国、イタリアのオーナー経営者を史実のままに描こうとしてこうなったのだろう。
それにしてもこれほど終始暗い表情のペネロペ・クルスを初めて見た。最初に見た時は彼女とわからなかったほど。後半に夫と駆け引きをするあたりで少しはいい顔をするけれど、ちょっとかわいそう。愛人も映画では最後までハッピーになれない。
それにしても、「ミッレミリア」でスポーツカーが道路から外れて見ている観客の群れに飛び込んで9人の死者が出るシーンはすさまじい。エンツォはそれに対しても妙に落ち着いていて、やはり自分本位。実際にはこの事故をきっかけに「ミッレミリア」は中止されたらしい。
マイケル・マンは『フォードvsフェラーリ』(2019)で製作しているが(監督は別)、そちらの方がカーレースの映画としては楽しく見られた。そういえば、2016年にパリにいた時ボローニャの復元映画祭に行って、そこからモデナのフェラーリ博物館に行ったことがあった。この映画で愛人が住むモデナ近郊のカステルヴェトロにも足を運んだ。
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コメント
ペネロペ・クルス、これまでの私の印象は「スペイン語でまくし立てる女」
でしたが、今作の彼女のダークな演技はとても良かったです
と考えますに、今作はカーレース映画にカテゴライズしてはいけないのでは?
投稿: onscreen | 2024年7月21日 (日) 08時22分