『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読む
三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、今朝の「朝日」の広告だと15万部突破という。私は少し前に買ったが、5月末で4刷だったのに驚いた。私が去年出した『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』と同じ集英社新書である。
私の本は6000部刷って、まだ初版のまま。なのにこちらは15万部とは何たる差だろうか。同じ1000円+消費税なのに。私はまじめにこれを読んで売れるコツを学ぼうと思った。買った理由には「あとがき」を読んで担当編集者が同じYさんだとわかったこともある。同じ担当者でどうしてこんな差が出るのだろうか。
筆者は京大の修士を出た文芸評論家のようだ。私より30歳ちょっと若いというからクラクラする。帯も今朝の広告もニコリと笑う顔写真付きだ。さて、読んだ感想はと言えば、中くらいというか、中途半端な本の感じがした。ヒガミではなく。
なぜ中くらいかと言えば、大半が明治以降の日本人において会社員と読書の関係の歴史的な分析に当てられているが、それがあくまでこれまでに書かれた研究書を引用する形だから。つまり、筆者自身が分析していないので、パッチワークのような印象を持った。
それぞれの細部はかなりおもしろいというか、ためになる。まず、明治時代に図書館が登場して読書習慣が変わったこと。漱石の『三四郎』を引用しながら、田舎出の学生が初めて図書館に触れる意味を述べるあたりは実にうまい。大正時代には地方の図書館が飛躍的に増えて「階級や地域に関係のない読書の習慣が広まる」。
次に「仰げば尊し」の歌の一節「身をたて名をあげ やよはげめよ」を引きながら明治時代の立身出世主義を語る部分もおもしろいし、英国のスマイルズ著の翻訳『西国立志伝』が100万部を超して明治から大正のベストセラーになったことにも驚いた。この本では「修養」という語を初めて日本で使い、それは今の「自己啓発書」に近いと書く。
「サラリーマン」が登場したのは大正時代らしい。「労働者階級でもなく、富裕層でもない、新中間層が誕生した」。そして大正末期に出た谷崎潤一郎の『痴人の愛』がヒットしたのは、サラリーマンの妄想を描いたからだという。
一方で大正時代には「行為を重視する修養」ではなく、「知識を重視する教養」が別れていった。「中央公論」や「改造」や「文藝春秋」は教養層向けに作られた。ではそれは『痴人の愛』を読む層と重なるのかは書いていない。そんな感じでドンドン各時代の興味深い読書習慣を上げながら現代まで来る。
最後の現代の部分の提案は平凡で、ここまで読んで何だったのかとも思った。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いには答えていない。それにしてもいいタイトルである。みんな一度はこの問いをしたことがあるだろうから。
私は次の本も同じ担当者で集英社新書の予定なので、題名はくれぐれも考えたい。といっても決めるのは私は参加できない集英社内の会議なのだが、いくつかの案は出せるはず。
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