セリーヌ・ディオンの『愛の讃歌』を聞きながら
既に何度も書いたように、オリンピックは嫌いだ。ワールドカップも高校野球も同じように苦手だが、特にオリンピックは国別のメダル競争があって、馬鹿らしいと思う。この移民の時代には、どの国籍で出場するかはかなり恣意的になる。そもそもスポーツに国別はどれほど意味があるのか。
そんな私でも開会式はダイジェストを見た。あれはやはり演出でお国柄が出るからおもしろい。セーヌ川を「川下り」のような感じで入場行進するのは奇抜でよかった。私はなぜか溝口健二の傑作『残菊物語』(1939)のラストの「船乗り込み」を思いだした。
歌舞伎役者を演じる花柳章太郎が、大阪の道頓堀で川の両側に立つ贔屓筋に船から挨拶をするシーンだ。川はセーヌ川のように広くないから顔がよく見える。もちろんその華やかさの影には、森赫子演じるお徳の瀕死の床があり、この二つが交互に写される。
開会式の終りにセリーヌ・ディオンが「愛の讃歌」を歌う映像が出てきてドキリとした。これは全部見たいなとYouTubeで見たら、これが実によかった。というか、命の限り歌うような壮絶さが漲っていた。
その時に驚いたのは歌詞の過激さだ。以下にコピペして、自分で訳してみる。
Je renierais ma patrie 自分の国を否定することも
Je renierais mes amis 友達を裏切ることもできる
Si tu me le demandais… もしあなたが望むなら……
On peut bien rire de moi, 笑いたい人は笑えばいい
Je ferais n’importe quoi もう何だってやるわ
Si tu me le demandais… もしあなたが望むなら……
On peut bien rire de moi, 笑いたい人は笑えばいい
Je ferais n’importe quoi もう何だってやるわ
Si tu me le demandais… もしあなたが望むなら……
「愛の讃歌」はエディット・ピアフの作詞・作曲だと思うが、イタリアやアルジェリアの血を引く貧しい階級出身の彼女ならではなの根性かも。黒に近い髪の彼女だから「ブロンドに染めてもいい」という歌詞もあった。確か、越路吹雪が歌っていた日本語版はこういう反社会的な感じは除かれていた。
それが、かつては世界のトップ歌手でも、今は難病で何年も人前で歌っていないセリーヌ・ディオンが全身から力を振り絞るような形で歌うと、ピアフをも上回る迫力があったように思えた。これは今後も時々聞きたい。
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