「愛する者よ、列車に乗れ」と言われても
昔、『愛する者よ、列車に乗れ』というフランス映画があった。1998年の作品でカンヌのコンペに出て日本でも翌年公開された。監督はむしろ舞台演出家や俳優として有名なパトリス・シェローだった。
実を言うと私はこの映画は見ていない。だがフランス語の題名Ceux qui m'aiment vont prendre le trainを聞いた時から、妙に気になっていた。邦題はほぼ直訳だが、あえて訳し直せば「私を愛する者は、列車に乗るだろう」。列車に乗ってどこに行くのだろうかと思った。
ところがフランスのヌーヴェル・ヴァーグについて調べていたら、突然この言葉が出てきた。今では日本でその名前を知る人はほとんどいないと思うが、フランソワ・レシャンバック(1921-1993)という監督がいる。1950年代から短編ドキュメンタリーを撮って『カイエ・デュ・シネマ』誌に賞賛されていた。
初長編『アメリカの裏窓』(1960年)はカンヌのコンペに出て、日本でも公開された。ちょうど「左岸派」のクリス・マルケルが北京やシベリアを撮ったようにシニカルな視点でアメリカを見せて話題を呼んだ。そのうえ、製作はピエール・ブロンベルジェ、脚本にマルケルが参加し、音楽はミシェル・ルグランという完璧な「左岸派」の陣容で冒頭にジャン・コクトーの紹介が出てくる。
この才能豊かな監督は、その後はクロード・ルルーシュと共同監督のグルノーブル冬季オリンピック映画『白い恋人たち』(1968)以外は日本で公開されていない。フランスでは順調に撮っているようだから、きっとおもしろいに違いない。
話がそれたが「私を愛する者は、列車に乗るだろう」という言葉は、この監督が死ぬ間際に言った言葉である。彼は小さい頃、夏休みは毎年ベルギーのリエージュで過ごしていた。だから墓はリエージュにしてくれと脚本家のダニエル・トンプソンに頼んだ。トンプソンは「そんなところにしたら、誰も墓参りに行かない」と言うと、「私を愛する者は、列車に乗るだろう」と答えた。
実際に彼が亡くなって、遺言通りリエージュに葬られた。そのお葬式にはパリから親しかった人たちが15人ほど何時間も列車に乗って行ったという。トンプソンもその一人だったが、そこで繰り広げられた人間模様が面白過ぎて、そのまま映画の脚本にしたという。
さて、どこに墓を作るか。私は「墓なんていらない」という派だが、それでも墓参りに行くのは嫌いではない。葬式や墓は生き残った人々のためと考えたら、あってもいいかもしれない。自分の葬式に誰が来るのか、一周忌の墓参りに行く者がいるかを考えると楽しい。『愛する者よ、列車に乗れ』はフランスではブルーレイが出ているので、今度見てみようと思う。
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