「目まいのする散歩」の実感
『目まいのする散歩』は小説家、武田泰淳が64歳で亡くなる直前に出したエッセー集だが、実は読んでいない。彼の小説は『森と湖のまつり』や『富士』などを大学生の時に読んだが、これは買ったまま本棚に並んでいた。
オビには「歩を進めれば、現在と過去の記憶が響きあい、新たな記憶が甦る」と書かれていて、年齢的に考えても私の心境に近いかもしれない。実は「目まいのする散歩」という言葉は、最近、道を歩いていた時にふっと出てきた。
大学からの帰り道、午後5時頃に自宅の地下鉄最寄り駅の階段をいつものように歩いて登り、家に向かって歩き始めた。10メートルくらい歩いて、くらりと目まいがした。一瞬、何が起こったかわからないくらい、目の前が暗くなって倒れそうになった。とりあえず立ち止まって深呼吸した。
すると1分もたたないうちに視界が戻り、すべてが元のままだった。この2、3年、階段を登った後に息切れがするようになったが、とうとう目まいまで来たかと思った。たぶん仕事が終わって一日の疲れが出たのだろうと思った。
ところが翌日、ほぼ同じ時間に全く同じ現象が起きた。頭がふらりとして、一瞬、歩けない。これまた1分もたたないうちに元に戻ったが、2日連続という事実に急に怖くなった。その時浮かんだのが「目まいのする散歩」という本の題名だった。
考えてみたら、40代くらいから、極力階段を使うようになった。自宅で毎朝、郵便受けに新聞を取りに行く時は、5階分の階段を降りて登る。大学に着いて、4階の研究室まで階段を歩く。昼食に出る時も往復階段を歩く。
だから階段を登って目まいというのは、考えの外だった。朝はいいが、夕方、特に仕事の後の階段は、急に気が抜けてしまうのかもしれない。新聞で老人医療専門の70代の医者が書いていたが、午前中は頭脳が働くが午後になると思考能力が鈍り、夕方から夜にかけてはほぼ認知症だと自分でわかるとのことだった。
つまり、夕方になるともう心身が持たなくなるのだろう。自宅近くの地下鉄駅には、少し歩けばエレベーターがある。今まで一度も使うことはなかったが、これからは使うことも考えた方がいいかもしれない。
夕方といえば、最近、2度もアポを間違えた。1週間先のものをその日だと思い込んで、1度はわざわざ日本橋まで行った。会場に着いて係の人に聞いてようやく1週間間違えたことを悟る始末である。夕方は危ない。
そういえば、新首相が石破さんに決まった。あの3人では一番まともだと思うので、よかった。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 飛行機のトラブル(2026.09.07)
- 美術と映画をめぐって(2026.08.26)
- 本を売る(2026.08.20)
- 人生の僥倖(2026.08.09)
- いつの間にかイタリア映画の専門家に(2026.08.07)


コメント