ジョージア映画祭に行く:その(1)
現在、世界各地で1960年前後から70年代にかけて出てきた「新しい映画」を調べている。もちろん代表格はフランスのヌーヴェル・ヴァーグだが、日本を含めて各地で同時多発的に起きている。今度「ジョージア映画祭2024」が始まったので数本見た。
ジョージア映画(いまだに「グルジア映画」の方がピンと来る)と言えば、一番有名なのは後にフランスに行くオタール・イオセリアーニ。彼の47分の初期中編『四月』(1962年)を見れば、その輝く才能が「素朴」などではとうてい説明がつかないことがよくわかる。
作品として有名なのはゲオルギ・シャンゲラヤの『ピロスマニ』(1969)。画家ピロスマニの生涯を淡々と追った映画だが、ほとんど正面から撮るだけのミニマルな美学には、ファンが多い。日本で公開されたのは1980年代で、大学生だった私も打ちのめされた。
今回の「ジョージア映画祭2024」では彼らの作品もやるが、中心となるのはラナ・ゴゴベリゼとエルダル・シャンゲラヤという2人の監督。後者は姓が同じゲオルギのお兄さんだが、『奇妙な展覧会』(1968)と『奇人たち』(1973)を見て驚いた。人間味とユーモアが溢れる作風で、丹精な『ピロスマニ』は全く違う。
『奇妙な展覧会』は大学で美術を学び彫刻家を目指すが、食べるために墓場の彫像を作る男・アグリの話である。映画は最初、彼が徴兵に取られるシーンから始まる。それからようやく帰ってくるが、ある時夜中に歩いていて若い女性警官に捕まってしまう。アグリはグラフィアという名の警官に恋をして2人は結ばれる。
終盤に見知らぬ男から声をかけられて、クラス会に行くことになる。大聖堂の廃墟で行われる大宴会にアグリは妻と参加する。年老いた先生たちも来て、大いに盛り上がる。みんなに声をかけた男は最後まで「あいつ誰だっけ」と言われているが。そうして宴会が終わり、帰り道に墓地に迷い込むと、そこは彼が手がけた彫像の墓石が並ぶ「展覧会」だった。
『奇人たち』はさらに戯画的というか、寓話的だ。青年エルタオズは父親が亡くなり、村人たちは一斉に借金を取り立てにやってきて、結局家具も家もなくして旅に出る。ある家の前で夫が留守の美女、マルガリータに一目惚れするが、彼女は多くの男たちの憧れの的だった。
エルタオズはそこに来た刑務所長に嫉妬され、牢獄に入れられる。この刑務所は何と地下に穴を掘ったもので、エルタオズはそこで不思議な老発明家・クリステポレに出会う。この男は密かに穴を掘って脱獄の準備をしており、そのために飛行機も作っていた。ある時二人は脱獄して空を飛ぶ。
一種のファンタジーで、自由に空を飛びたいというのはソ連の体制下での願望と取ることもできるが、それよりもある種の人類共通のヒューマニズムの産物のようなもの。この人間臭さは「新しい映画」とは少し違うかもしれないが、『奇妙な展覧会』同様に愛すべき作品である。
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