イスタンブール残像:その(1)
もう帰国して1週間が過ぎたのに、どうも頭の中でイスタンブールが巡っている。一番印象に残っているイメージは、ボスポラス海峡巡りの観光船から何本か見えた相当に大きな赤いトルコの国旗だった。
それはいくつもある宮殿の前とか、公園にはためいている。どれも船からはよく見える場所にあって、たぶん幅10メートルくらい。少なくとも5、6本は見たから単にある愛国者が建てたのではなく、国の方針で立っているに違いない。
アジア側のカドキョイ地区にフェリーで行って、港に近い商店街を散歩していた時、国旗を何本も持って売る男がいた。もちろん船から見たような巨大なものではないが、幅1メートルはあって、かなり大きい。それを右肩で5本くらい抱え、左手には半分くらいの大きさの旗を持っていた。
よく見ると小さな赤い旗には人の顔があった。その下の名前のつづりを見るとK.Ataturkと書かれている。これは1923年にオスマン帝国を廃止して現在のトルコ共和国を作ったケマル・アタチュルクのことである。「アタチュルク」は「トルコの父」という意味らしい。私が「世界史」で学んだ時は「ケマル・パシャ」という名前だった。
なぜそんなことを知っているかと言えば、行く時の飛行機で小笠原弘幸著の新書『ケマル・アタチュルク オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父』を読んだから。初めて全く知らない国に行くので、少しは勉強しようと思った。
実は出発前に読んだ本もあった。トルコ初のノーベル賞作家、オルハン・パムクの自伝的エッセー『イスタンブール 思い出とこの町』は2/3ほどを読んだが、重いので旅行には持って行かなかった。しかし『ケマル・アタチュルク』を読んでると、パムクのエッセーと符合するところがあちこち出てきた。
パムクの本によれば、19世紀に半ばにはフランスのネルヴァル、フロベール、ゴーチェといった名だたる作家たちがイスタンブールを訪れて絶賛した。ところがジッドなど20世紀初頭に来た作家はおもしろくないと批判したらしい。それはひとえにアタチュルクによる近代化のゆえだった。
彼は新憲法を作り、トルコ帽子や神秘主義教団を禁じ、アラビア文字を廃止してローマ字表記に変え、モスクであるアヤソフィア聖堂を国立博物館とした。パムクは書く。
「西洋化とアタチュルク革命による禁止の結果、ハレムや修行者の館やスルタンのような多くの観光的要素が木造建築と共になくなり、オスマン・トルコ帝国の代わりを、西洋の真似をする小さいトルコ共和国がすることになった」
続きは次回。
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