久しぶりに海外へ:その(2)
今回パリに着いて、最初に行ったのはなぜかパリのはずれにある「国際大学都市」のアメリカ館。1984年9月から翌年7月まで住んだ学生寮だが、なぜかその後一度も行っていない。最近DVDで見たエリック・ロメールの短編『パリのナジャ』で国際大学都市が出てきて、急に行きたいと思った。
国際大学都市には20世紀初頭に主要国が自分の国の学生のために作った館が20ほどあって、日本館もある。今は知らないが、かつては自国の学生は半分まで受け入れてあとの半分はほかの国の学生が入ることができた。私はフランス語と同時に英語も磨きたいと思ったのか、アメリカ館に住むことを希望した。
アメリカ館は各国の寮のなかでも、格段に大きくて正面のすぐ左で大通りに面している。今回、RERの国際大学都市駅を降りて大通りを渡り、左側に30mほど行ったアメリカ館の正面入口から入ろうとしたが閉まっていた。裏の庭側から入るようにと掲示があり、もどって庭側の入口へ。閉まっていたが、ボタンを押すとすぐに開けてくれた。
中に入ると、入口右側の管理人室は昔のまま。住む学生の郵便受けも同じだが、今は自分の鍵で開けられるようだ。かつては大きく感じた入口ホールがずいぶん狭い。うろうろしていたら、管理人の若い女性から声を掛けられたので、「いや、昔、1年住んだので」と言ったら笑っていた。
左奥の階段から私が住んだ部屋のある2階の廊下に行こうか迷ったが、誰かいたらヘンな中年がウロウロしていると言われそうなので、やめた。庭側から外に出て、かつて郵便局があった場所に行くとそこは銀行になっていた。今は郵便局を使う学生は少ないのだろう。私は実家に先方払いの国際電話をするのによく通ったが。
銀行があった中央奥の国際館に行くと、その場所は売店だった。右側には相変わらず学食があったが、これまた見るとずいぶん狭い。かつて長い列を作った記憶があったが、これだとそもそもあまり列を作る場所がない。記憶は事物を大きくする効果があるのだろうか。
それから翌日に行ったのが、国立装飾美術館の「百貨店の誕生 1852-1925」展。私は19世紀半ばの万国博覧会や百貨店の誕生と流行は、19世紀末の映画の発明にそのままつながっていると思っているので、見たいと思った。つまり「今、ここで、世界のすべてを見る」という精神である。
展覧会は地味で小さめだが、なかなか興味深かった。最初の百貨店はブシコー夫妻が1852年に作った「オー・ボン・マルシェ」。それからパリ市役所前の「BHV」が56年、「オー・プランタン」が65年、「ラ・サマリテーヌ」が70年である。つまりナポレオン三世による第二帝政が始まって同時に百貨店が広まったことになる。
この時期は企業家や銀行家や商店主などを中心にいわゆるブルジョア層階級が形成され、百貨店は彼らを最大の顧客とした。この展覧会はその発展をポスターや商品カタログや衣装などで見せるもので、まさに現代のファッション都市パリの根源をかいま見ることができた。
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