少しだけ東京国際:その(1)
不思議なもので、朝日新聞デジタル「論座」2023年4月になくなって映画祭について自由に書く場所がなくなると、コンペ作品をすべて見ていた東京国際映画祭に対しての情熱がなくなった。理由はほかにもある。
不思議なもので、朝日新聞デジタル「論座」2023年4月になくなって映画祭について自由に書く場所がなくなると、コンペ作品をすべて見ていた東京国際映画祭に対しての情熱がなくなった。理由はほかにもある。
韓国映画『破墓/パミョ』を劇場で見た。予告編を見て気になったからだが、韓国で1200万人が見て今年一番のヒット作というのも理由の一つ。そして監督は今年43歳のチャン・ジェヒン。
昨日、映画業界の友人たちと4人で酒を飲んでいたら、日活の高木希世江さんが亡くなられたという知らせが飛び込んだ。みんな急にあちこちに連絡をして確認していたが、どうも確かなようだ。
先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」に出た。これまでNHKは2000年の7月頃、『美術展の不都合な真実』を出したことがきっかけで「おはよう日本」に出たことがあった。本のパブリシティになるかと大張り切りだったが、あらゆる「宣伝」を拒むNHKらしく、あくまで一般論として美術展について語らされた。
トッド・フィリップス監督の『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を劇場で見た。もともと前作は好きだったし、「賛否両論」というので見たくなった。結論から言うと、前作に比べるとドラマ的な面白味は減ったかもしれないが、そのムードや音楽を十分に堪能した。ちなみにこのブログはいつもネタバレだが、今日はとりわけそうかも。
ある夕方、ちょっと不愉快なことがあり、気分転換と思って上野の東京国立博物館の「はにわ」展を見に行った。東近美で「ハニワと土偶の近代」を見て近現代のハニワの氾濫ぶりに驚いて、本物の埴輪を見たいと思ったこともある。
最近、新発売の東宝のDVDに慌てている。東宝といえば、黒澤明とゴジラ作品以外は有名作品でなければ秀作であってもDVDを出さないことで有名だ。一説には、あの会社は1万枚売れないDVDは出さないとか。例えば戦後の成瀬巳喜男作品でDVDで出ていないものはたくさんあった。
東博と東近美の両方でこの10月にハニワの展覧会が始まる、と聞いて驚いた。東博はともかく、なぜ明治以降を扱う東近美なのかと思った。ところが展覧会に行ってみたら納得。日本の近現代美術のあちこちにハニワがいるのだから。
私は先日書いた五十嵐耕平監督の『SUPER HAPPY FOREVER』と空音央監督の『HAPPYEND』をごっちゃにしていた。どちらも今年のベネチアのコンペ以外のセクションに出品しており、日本公開もほぼ同時期。なにより題名が欧文でどちらもHAPPYがある。
ようやく、秋らしい季節になった。こんなに夏が長くなったのはいつ頃からだろうか。はっきり覚えているのは1985年10月1日のこと。パリ留学から7月末に戻り、そのまま就活をして西武百貨店から内定をもらったのが8月末。
「映画的」という言葉がある。「濱口竜介の作品はどのショットも映画的なんだよ」などと学生が言う。全然説明になっていないが、映画好きが嵩じるほど若者はこの「映画的」という表現を使いたがる。
中国のグー・シャオガン監督は一作目の『春江水暖』がなかなかよかったので、二本目の『西湖畔に生きる』を期待して劇場に見に行った。一作目は「山水映画」第一作と銘打たれていたが、今度はその第二作というし。
オルハン・パムクは『イスタンブール 思い出とこの町』で「ヒュズン」についてこう語る。「わたしの出発点は、曇った窓を見ているとき、ある子どもの感じる感情であった。今ヒュズンをメランコリと区別しよう。一人の人間の感じるメランコリに対してではなく、何百万もの人間がともに感じるあの暗い感情、ヒュズンに近づこうとしている。町全体の、イスタンブールのヒュズンを語ろうとしている」
11月22日公開のナンニ・モレッティ監督『チネチッタで会いましょう』を試写で見た。このイタリアの監督はかつては自分が主人公を演じる独白のような映画を作っていたが、『息子の部屋』(2001)あたりから、かなりシリアスな人間ドラマを見せるようになった。
さてここで、(1)に書いたボスポラス海峡のあちこちにはためいていた巨大な赤いトルコの国旗について考えたい。私が察するに、あれは現在のエルドアン大統領の方針ではないか。愛国心を高めるために、国の機関のあちこちに立てているとしか思えない。
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