高木希世江さんが亡くなった
昨日、映画業界の友人たちと4人で酒を飲んでいたら、日活の高木希世江さんが亡くなられたという知らせが飛び込んだ。みんな急にあちこちに連絡をして確認していたが、どうも確かなようだ。
彼女は一般的には無名の人だし、映画業界でも知らない人も多いかもしれない。映画会社にいても必ずしも映画に詳しくなかったり、映画が好きなのかも怪しい社員は多いが、高木希世江さんは私の知る限り最も映画好きの映画業界人だった。
とにかく気になる映画はすべて見に行き、尊敬する監督や脚本家やプロデューサーや評論家が登壇すると出かけた。そして頼まれもしないのに、それらの情報を知り合いにBCCメールで送った。
私が最後に受け取ったのは今年の7月、彼女が好きな映画史家・伊藤彰彦さんの『なぜ80年代日本映画は私を熱狂させたか』の書店での刊行記念イベントで、彼が司会で滝田洋二郎監督と岡田裕プロデューサーが参加したものだった。彼女はそのWEBリポートのリンクに彼女なりのコメントを加えて送ってきた。
また、日活に勤めながら自社の映画遺産を最も愛していた社員ではなかっただろうか。川島雄三の『幕末太陽伝』のデジタル復元や「にっかつロマンポルノ」の特集上映やそのリブートの新作製作などに、深い愛情を持って関わっていた。私の教える大学の卒業生で、一度は講演を頼んだし、「ジェンダーギャップ映画祭」ではオンラインで学生向けにロマンポルノのレクチャーもしてもらった。
そしてロマンポルノの関係者、荒井晴彦さんや先日亡くなられた白鳥あかねさんたちと強い絆を保っていた。曽根中生監督が長い間行方不明だったのに、大分に住んでいることを突き止めて湯布院映画祭などに登場させたのは彼女ではなかったか(1度経緯を聞いたはずだが、思いだせない。ほかの人も関わっていた)。
高木さんとは飲み友達でもあった。年に数回、私を含む4人で飲みに行くチームがあった。彼女は映画を見に行くとその感想をそのメンバーに送ってきた。彼女のメールで見に行った映画は数限りない。そして日活の新作で自信作があると試写状を送ってくれた。
一番最後は9月17日付けの『侍タイムスリッパー』。「凄く面白かったです!/日比谷のTOHOシネマズ、スクリーン1で見られるという僥倖。/上映後に自然と拍手したら、他にも拍手する観客多数。/日比谷でこういうことが起こるんですね。/爽快な気分になりました。」
私はこのメールに返事をせず、かつ映画も見ずに無視してしまった。せめて返事くらいすべきだった。高木さんは癌で一年ほど闘病生活を送っていたという。考えてみたら、この1年ほど飲みに行っていない。何も知らなかった。
ふといくつだったのかと考えても、わからない。たぶん私より5つくらい下なので、50代後半か。早い。もはや50歳を過ぎたら「順不同」である。それにしても、彼女のあの屈託のない笑顔を思いだすと、たまらない。
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