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2024年10月10日 (木)

『SUPER HAPPY FOREVER』は「映画的」

「映画的」という言葉がある。「濱口竜介の作品はどのショットも映画的なんだよ」などと学生が言う。全然説明になっていないが、映画好きが嵩じるほど若者はこの「映画的」という表現を使いたがる。

もちろん評論家や映画記者などのプロは使わない。これを言ったら「おしまい」だから。あるシーンが「映画的」かどうかなんて人によって違うし、そもそも「映画的」とは何なのかわけが分からない。「アイツは映画がわからない」などに近い。

そんなことを考えたのは、久しぶりに「映画的」と言いたくなる作品『SUPER HAPPY FOREVER』を劇場で見たから。五十嵐耕平監督はフランスのダミアン・マニヴェルとの共同監督の『泳ぎすぎた夜』(2017)も相当によかったが、今回は身に沁みるような圧倒的な心地よさを感じた。

30代の男2人が、熱海か伊豆あたりの海岸沿いのホテルに来ている。そのうち佐野は5年前に出会った女の面影を求め、もう1人の宮田は怪しげなセミナーを受けに来ていてその仲間の女子とも会う。2人はじきに喧嘩別れする。一方でベトナムから来たアンはそのホテルで5年間の仕事を終えようとしている。

これが前半で、後半は5年前に佐野が同じ姓のなぎという女性と出会うところから始まる。なんとなく意気投合して男は女にキャップ帽を買ってあげる。コンビニの前でカップ麺を食べてホテルの部屋の前で別れる。しかし女は翌朝キャップ帽がないことに気づいて慌てる。

それだけのちょっとしたスケッチのようだが、まず場所の雰囲気がいい。もうすぐ閉鎖されるというホテルは何かが終わった後のようでどこかもの悲しく、あたりの匂いがしてきそうだ。そんなところで帽子を買ったり、カップ麺を食べることで少しずつ近づく男女。そして翌朝の展開とラストのアンの姿にあっけに取られる。

ようするにドラマも盛り上がりも見せずに、単純なちょっとしたいい感じだけを最初から最後まで見せ続ける。前半は何を考えているのかわからない佐野にいらだつが、後半はそれがだんだん理解できる気分になってくる。30歳を過ぎた男女がコンビニの前に座ってカップ麺を食べるなんてあまりに陳腐なのに、なぜかじんと来る。

なぎを演じる山本奈衣瑠の自然でナイーブな感じが気持ちいいし、ちょっと似ているベトナム女性のアンもシンプルで爽やか。無駄をなくして撮りたい光景や人間の動きだけをとらえたらこうなるのか。これはもう映画の才能が溢れているとしかいいようのない、エッセンシャルだけでできた映画である。

最近見た中国の『西湖畔に生きる』や台湾の『本日休業』が巧み過ぎただけに、このシンプルさは応えた。フランスのギョーム・ブラック監督に近いかも。

佐野と宮田を演じる俳優の佐野弘樹と宮田佳典が企画を立てて五十嵐耕平に監督を頼んだというが、その発端も含めて奇跡のような映画である。この映画はベネチアの監督週間に出ているというが、監督は今年41歳。ほぼ同世代の濱口竜介や三宅唱級のとんでもない才能である。

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