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2024年10月 4日 (金)

『チネチッタで会いましょう』の幸福感

11月22日公開のナンニ・モレッティ監督『チネチッタで会いましょう』を試写で見た。このイタリアの監督はかつては自分が主人公を演じる独白のような映画を作っていたが、『息子の部屋』(2001)あたりから、かなりシリアスな人間ドラマを見せるようになった。

前作の『3つの鍵』(2021)もそうだったが、それなりによくできたドラマなのでこれを「成熟」と呼ぶべきかと思うけれど、どこかもっとはずして欲しかった。『夫婦の危機』(2006)はベルルスコーニ、『ローマ法王の休日』(2011)はローマ法王とテーマが大きすぎるだけに、ある程度のはずしはあったけれど。

ところが今回の新作は、はずしてばかりなのだ。まず監督のジョヴァンニを演じるモレッティがいかにも普通の感じで出てきて、彼の日常生活そのもののよう。1956年のソ連のハンガリー侵攻の時期にイタリアの地方にやってきたハンガリーの劇団とそれを受け入れるイタリア共産党支部を撮影しているが、誰もその意味をわかる者はいない。

「そもそもイタリアに共産党があったはずがない」という者さえいる。受け入れる共産党の地区代表を演じるシルヴィオ・オルランドやその妻役のバルバラ・ボブローヴァは、なんだか気を抜いて遊びながら楽しく演じているようにさえ見える。

フランス人プロデューサー・ピエール役のマチュー・アマルリックに至っては、そこにいること自体が冗談のように見える。イタリア語とフランス語を混ぜながら「モレッティの撮影に遊びに来ました」という感じがありあり。さすがにジョヴァンニの妻パオラ役のマルゲリータ・ブイはもともとが自然体の俳優なので、この映画でもいつも通りだが。

パオラは若い監督のプロデュースをしているが、関係のない夫のジョヴァンニが殺人シーンに口を出すという「困ったオヤジ」ぶり丸出しだ。そもそもパオラは夫との関係に悩んで精神科医に通い、しまいには別居を申し出る。ジョヴァンニはその意味がわからずピエールにネットフリックスを紹介されても、「120カ国で見られます」という先方の説明をからかう。

ジョヴァンニは最後までどこ吹く風で、ジャック・ドゥミの『ローラ』やフェリーニの『甘い生活』の映像を見せ、10本あまりの作品の名前を出してシネフィルぶりを披露する。そして最後にはフェリーニ映画ばりの大行進をやってのける。カルヴィーノやパヴェーゼら文学者への言及も交えながら。

あえて今の映画界に向かない自分を露呈し、そこの居直る自分を見せる。この自己肯定ぶりを最後まで見ると、頑固じじいの幸福な老後に見えてくるから不思議なものだ。本音を出し切ったまさに遺書のような作品に見えた。

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