『ジョーカー2』を堪能する
トッド・フィリップス監督の『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を劇場で見た。もともと前作は好きだったし、「賛否両論」というので見たくなった。結論から言うと、前作に比べるとドラマ的な面白味は減ったかもしれないが、そのムードや音楽を十分に堪能した。ちなみにこのブログはいつもネタバレだが、今日はとりわけそうかも。
何がよかったと言えば、ジョーカー=アーサー役のホアキン・フェニックスも彼の恋人リーを演じるレディ・ガガも、その佇まいが抜群にいい。出てくるだけで嬉しくなる。彼らが一緒に、あるいは別々に歌うシーンには本当に惚れ惚れした。
さらに気に入ったのは、2人の愛が必ずしも交わっていないことだ。アーサーはリーの熱いまなざしに応える形で彼女を好きになる。そしてセックスにまで至るが、あえてそれを少し見せることでこの愛がどこか物理的なことを示す。
そして驚くのはリ―が噓つきだったこと。彼女はアーサーに同じ地区の出身だと言うが、後で弁護士から彼女は裕福な地区に育ち、父親は医者だったこと、さらに刑務所にいるが出たければ出られたことなどがどんどんわかってくる。実際に後半は出獄しているし。
そして裁判の最後にアーサーが「ジョーカーはいない」と言い放つと、彼女はまるで騙されたと言わんばかりに裁判所を後にする。最初は2人でデュエットするラブラブのミュージカルのように見せて、実は大きな溝があったことが少しずつ明らかになる。
つまりはリーは世の中を沸騰させた「ジョーカー現象」のフォロワーの一人でしかなかったわけだが、それにもかかわらずアーサーは自分を好きになってくれたリーのことを思い、子供ができたという話を信じるような人の良さを持つ。
終盤に裁判所が爆破された時は心底びっくりしたし、同時に「やった!」と思った。最初はリーの仕業かと思ったが、最後まで犯人はわからずじまい。そして裁判所を抜け出したアーサーは「ジョーカー現象」の信者2人の車に運ばれる。それから歌いながら例の階段を登る。そして最後の刑務所ではとんでもない若者にやられる。
いやはや思いのほかのすべてぶち壊しの展開で、愛もなければ反社会もない。あるのは自分の心に素直なホアキン・フェニックスの痩せた姿だけで、私にはその思想のなさが気持ちよかった。
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