少しだけ東京国際映画祭:その(6)
フェイスブックには数年前の同じ日の投稿を見せる機能があって、昨日挙がってきたのは10年前、2014年11月23日の「朝日」のオピニオン面の「私の視点」に私が投稿した原稿だった。
「東京国際映画祭 発信力強化し失地回復を」という題で、「東京国際映画祭」のダメな点を具体的に指摘している。「簡単に言うと、誰が選んでいるかよくわからないことと、上映作品が地味なうえに世界初上映が少ないために、情報発信の場になっていないことだろう。日本映画の上映が少ないことも問題だ」
これらの問題は今やほぼ解決されたのではないか。市山尚三さんがプログラミング・ディレクターとしてアニメ以外のすべての上映作品をチェックしており、カタログにも顔写真入りできちんと紹介されている。その原稿には「選定者は開閉会式でもカタログでも目立たなかった」と書いていた。カタログで言えば、定番だった総理や経産大臣や都知事の挨拶と顔写真がなくなったのもいい。
「「特別招待作品」は正月映画の顔見世興行のような場と化しているが、海外の映画祭ではありえない」とも書いているが、このセクションもなくなった。今年はオープニングとクロージング以外に「センターピース」として『グラディエーターⅡ』が入っているが、リドリー・スコット監督作品ならば恥ずかしいことはない。
後半に書いた、世界初上映を増やすために時期を調整することと、三大映画祭や釜山のような専用会場を持つことだが、これは時間がかかる。時期については、かつて椎名保氏がトップだった時にこの記事に刺激を受けて7月にしようとして国際映連の許可も取ったが、東宝は夏休みにTOHOシネマズ六本木を貸せないと断ったという話を聞いたけれど。
この記事には書いていないが、何度も「朝日新聞デジタル論座」に書いた「アジア映画を中心にする」「コンペの日本映画のレベルを上げる」は完全に実現されたのではないか。今年の「朝日」で石飛徳樹記者が書いたように、コンペの3本は「今の日本を代表する作品」だった。
さて今年見た作品でこのブログで触れていないのは、アルトゥーロ・リプステイン特集で私は『純潔の城』(1973)だが、これはぶっ飛んだ。殺虫剤の薬を大きな自宅兼工場で作る男が妻と2人の子供をそこに監禁している話で、秘かにそれに抵抗しようとする姉弟の戦いにドキドキした。ルイス・ブニュエル的なブラック・ユーモアが溢れている。もっとこの監督の作品を見るべきだった。
こうした過去の復元されたクラシックが混じるのも実にいい。「日本映画クラシックス」も充実してきた。そのほか黒澤賞も「ウィメンズ・エンパワーメント」も「交流ラウンジ」もいい感じ。あとは世界初上映の話題作をどうしたらもっと持って来られるかだが、世界の映画関係者から注目されるプログラミングを続けていれば、自然についてくるだろう。
昨日始まった東京フィルメックスは、去年に続いて再び東京国際映画祭と時期をずらした。映画ファンにとってはありがたいが、やはり「世界の映画人が東京に集う」形が望ましいし「交流ラウンジ」なども盛り上がるので、同時期の開催に戻した方がいいのでは。
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