今年見た映画
コロナ禍以降、映画を見る本数が減った。言い訳はいろいろで、コロナ禍で海外に行けないのでベネチア国際映画祭に行くのをやめたら新作を追う気分がなくなったとか、その頃から本を書き出したとか。
時々、フランス映画が見たくなる。というか、フランス語を聞いてフランス人特有の表現や仕草や行動を眺めるのは、何となく自堕落な愉しみだ。そんな気分にピッタリの映画を見つけて劇場に行ったのが、ジャンヌ・バリバール主演の『山逢いのホテルで』。
かつて「末は博士か大臣か」という言葉があった。もともと明治の流行歌からきたらしいが、私が小さい頃、昭和40年代くらいまではよく使った記憶がある。明治以来の立身出世主義が、昭和にはまだ残っていたのだろう。
スペイン映画『太陽と桃の歌』を劇場で見た。ベルリンの金熊賞だし、監督がカタルーニャ出身のカルラ・シモンという1986年生まれの女性というのも気になった。結果は、今はこんな地味な映画が最高賞かとちょっと驚いた。
昨朝の「朝日」で高階秀爾さんの追悼記事を神戸大学教授の宮下規久朗さんが書いていて、あっと驚いた。宮下氏は東大の高階氏の教え子だし、彼の近年の旺盛な著作活動からして普通に言えば何も異存はないはずだが、個人的におかしかった。
渋谷で学生の映画祭をやった1週間、空いた時間によく美術館に行った。頭の違う部分が刺激されて、心地よいから。松濤美術館の「須田悦弘」展に続いて見たのは、オペラシティアートギャラリーの「松谷武判」展。1990年頃に大阪の具体グループの展覧会をイタリアとドイツでやった時、会場に来たのが松谷さんだった。
「ドキュメンタリーを追う」という続きものは、学生の映画祭「声をあげる」をめぐるものだったが、それが終わった直後にとんでもないドキュメンタリーを見た。藤野知明監督の『どうすればよかったか?』で、平日午後に満員の劇場で見た。
学生企画の映画祭「声をあげる」で、1968年に日本で撮られたドキュメンタリー、『日大闘争』及び『続日大闘争』と、2017年の韓国の劇映画『1987、ある闘いの真実』を同じ日に見た。どちらも大学生が警察や機動隊と戦う場面があって、その違いが興味深かった。
須田悦弘という名前を覚えたのは、10年以上前に四国の直島で安藤忠雄建築の「ベネッセハウス」に泊まった時だと思う。そこには小さなギャラリーがあって、コンクリート打ちっ放しの空間の片隅に小さな花が咲いていると思ったら、この作家の作品だった。
やはりドキュメンタリー映画はおもしろい。現在開催中の学生企画の映画祭では15本のうち、9本がドキュメンタリーだ。「声をあげる」というテーマで100本くらいから選んでいくうちに、やはり本物の声というものに行きついたようだ。
9月22日に書いたように、増毛のクリニックに行って薬をもらってきたが、それから2ヵ月半が過ぎた。今日はとりあえずの「途中経過」を書こうと思う。最初、先方から提案された一番確実なプランというのは、年間140万円ほどだった。
明日から学生企画の映画祭がユーロスペースで始まる。今年は「声をあげる」がテーマで15本が上映される。その中で土本典昭監督の『水俣ー患者さんたちとその世界―』が上映されるが、40年ぶりくらいに見て感動した。
1月10日公開のパスカル・ボニゼール監督『オークション 盗まれたエゴン・シーレ』を試写で見た。これはいろいな意味で楽しんだ。まずは何といってもオークションの世界は、短い美術記者時代に取材したことがあってあのハンマーを叩くバブリーな感じが懐かしかった。
東京フィルメックスは3本しか見なかった。いろいろ言いながらも、東京国際映画祭は15本も見たのに。あるいは15本見て、もう映画祭はいいやと思ったからかもしれない。それにフィルメックス定番のツァイ・ミンリャンやリティ・パンのアート系エッセー映画はもういい、というのもあった。
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