今頃読む『苦海浄土』:その(1)
明日から学生企画の映画祭がユーロスペースで始まる。今年は「声をあげる」がテーマで15本が上映される。その中で土本典昭監督の『水俣ー患者さんたちとその世界―』が上映されるが、40年ぶりくらいに見て感動した。
そこでふと本屋で手に取ったのが、石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』。1969年に出たこの本は水俣病の真実を広く知らしめたとして、私が中学生の頃から聞いたことがあった。
ただ、福岡県とはいえ県南で有明海に面した町に住んでいた中学生には水俣病は近すぎて、どうも読み気がしなかった。近所の魚屋で「有明海の魚は売っておりません」と書かれていたのをよく記憶していた。大人になっても、有名過ぎる本としてなぜか読んでいない。
今回初めて読んで、2つのことを感じた。1つは熊本県南の水俣の方言がすべて理解できること。これには母が熊本県出身だったこともある。もう1つは、言葉の表現はある意味では映像よりも強く焼き付くことだ。この本は著者が客観的に標準語で説明する部分と、患者たちの肉声が方言で書かれている部分と報告書などの文書にわかれる。
これが3つとも恐ろしいほどの力を持っている。胎児性患者に関して「ひとりで何年も寝ころがされている子たちのまなざしは、どのような思惟的な瞳よりもさらに透視的であり、十歳そこそこの生活感情の中で孤独、孤独こそもっとも深く培われた」と書くだけで、子供の目が迫ってくる。
これはぼうとうの「山中九平少年」の一部。「よそから、水俣病を視察あるいは見舞いに来るものや、市立病院、熊大関係者、市役所吏員たちや、私のようにえたいの知れぬ者たちがあらわれると、九平青年はラジオの前にガンと座って振り向かない、ということを私は聞いていた」
筆者はこのように自分も相対化する。「熊大のえらか先生の来とらすもんない。行こう、小父さんと」と言われても少年は動かない。母は「病院行きがああた、いちばん好かんとですもん」と弁解する。何度もせかされると「いやばい、殺さるるもんね」と答える。
「その言葉はもう十年間も、六歳から十六歳まで、そしておそらく終生、水俣病の原因物質を成長期の脳細胞の奥深く沁みこませたまま、その原因物質とともに暮らし、それとたたかい(実際彼が毎日こけつまろびつしてたたかっていた)、完全に失明し、手も足も満足に動かせず、身近に感じていた人間、姉や、近所の遊び仲間でもあった従兄や従妹などが、病院に行ったまま死んでしまい、自分も殺される、と、のっぴきならず思っていることは、この少年が年月を経るにしたがって、奇怪な無人格性を埋没させてゆく大がかりな有機水銀中毒事件の発生や経過の奥に、すっぽり囚われていることを意味した」
この長い一文を書き写すだけで、見たことのない少年の息吹が目の前に蘇ってくる。
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