松谷武判からソフィー・カルのパリ
渋谷で学生の映画祭をやった1週間、空いた時間によく美術館に行った。頭の違う部分が刺激されて、心地よいから。松濤美術館の「須田悦弘」展に続いて見たのは、オペラシティアートギャラリーの「松谷武判」展。1990年頃に大阪の具体グループの展覧会をイタリアとドイツでやった時、会場に来たのが松谷さんだった。
同行していた当時の兵庫近美の尾崎学芸員に聞くと、彼は「具体」の後期に現れた才能豊かな作家で、パリに住んでいるという。それから20年以上たって、2016年春夏にパリに半年いた時に彼の個展をポンピドゥー・センターで見た。
黒を基調にしたシンプルな絵画やインスタレーションは、一見東洋風でありながら明らかな普遍性というか精神性の高みを見せていた。この腰の据わった力業は、たぶん日本では無理ではないかと考えた記憶がある。
さて今回の個展は1950年代後半の最初期から出ている。最初はキリコ風のちょっと未来的な都市の風景で、1963年に「具体」の会員になってからは絵画に球状のゴムをいくつも貼り付けたような、いかにも「具体」らしい作品になる。それからその球が破裂して、球そのものの探求に至る。
そして1966年、パリに行くと版画作品に取り組む。当時、パリのスタッドラー画廊が「具体」を扱っていたからだろうか。解説パネルには「版画」がアートの最前線だったと書かれていたが、この時期の作品は今見ると地味だ。70年代以降、鉛筆を使ったり、画面に油を流し込んだりするあたりから、どんどんおもしろくなる。
それ以降は黒を基調にした大きな作品が多くなり、インスタレーションも出てくる。このあたりはパリで見た通り。展覧会の終りにビデオがあったが、本当にお爺さんが丹念に作品を仕上げている感じだった。
次に行ったのが丸の内の三菱一号館美術館で「不在 トゥールーズ=ロートレックとソフィー・カル」展。ソフィー・カルは、写真の横に長い言葉を書く展示で知られるちょっとトリッキーなフランスの現代作家だ。およそロートレックとは似ても似つかない。
今回は「不在」がテーマというが、3階は普通のロートレック展で2階は完全なカル展。海岸地域に住みながら海を見たことがない4人が初めて海を見る映像に加えて、いつもの日常的な写真と言葉、言葉。2つの展示におよそ関係がなかったのがすごい。ソフィー・カルはいかにもフランス人らしい自分勝手、言いたい放題の作品で魅力がないわけではないが。
パリに住みながら、究極の美を求める求道者のような松谷武判と、いかにも現代美術の社交界の人気者で(実際は知らないが)話題性だけで泳いでいるようなソフィー・カルの違い、乖離、差異が映画ばかり見ている私には心地よかった。
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