『太陽と桃の歌』の地味さについて
スペイン映画『太陽と桃の歌』を劇場で見た。ベルリンの金熊賞だし、監督がカタルーニャ出身のカルラ・シモンという1986年生まれの女性というのも気になった。結果は、今はこんな地味な映画が最高賞かとちょっと驚いた。
映画は、スペインのカタルーニャで桃農園を営む大家族を見せる。冒頭に農園を走る3人の子供たち。男の子2人は同じ服を着て双子のようだ。家に帰ると、女の子は母親に抱きつく。
家では老人が中年の息子夫婦にせつかれて、何やら書類を探している。「請求書じゃだめだ、契約書じゃないと」。「先代の地主と約束はしたんだが」と老人は言うが、契約書は出てこない。
どうも若い地主に太陽光発電のパネルを作るから土地を返せと言われているようだ。長男のキメットみんなはとんでもないと農園を続けようとする。老人夫婦には息子が2人いてそれぞれの妻子と共に住んでいる。さらに結婚した妹まで帰って来て三世代で大騒ぎだ。
10人以上住んでも家はたっぷり広く、さらにそれを取り巻く農地は無限にある。とても借地とは思えないほど豊かだが、近くには着々とソーラーパネルができ始める。地主はパネルの管理人にならないかと持ち掛けるが長男は相手にしない。しかし次男夫妻はそれもいいのではと考えている。
誰を主人公にするわけでもなく、10人ほどの生き方をまるでドキュメンタリーのように交互に見せる。長男の妻が帰ってきた夫と息子の頬をなぐったり、よくわからないシーンもいくつかある。見ている方はどこか置いてきぼりにされた感じだが、そうした謎の奥が深そうだ。
スペインの片田舎にひたひたと忍び寄る資本主義の猛威を、映画は実に具体的に細部にわたって見せる。最後のカットを見終わった時、観客はぼうぜんとするしかない。これは世界中で起こっていることかと思い知らされるから。
最近の「伏線回収」が大好きな若い観客には難しいかもしれない。登場人物の行動は謎が多く、説明もないから。それでもその奥にある強い怒り、諦め、あるいは抵抗の精神は感じ取れるだろう。ベルリンの金熊賞は、今風の映像に逆らった頑固さに対して与えられたものかもしれな。
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