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2024年12月14日 (土)

ドキュメンタリーを追う:その(2)『日大闘争』から『1987』へ

学生企画の映画祭「声をあげる」で、1968年に日本で撮られたドキュメンタリー、『日大闘争』及び『続日大闘争』と、2017年の韓国の劇映画『1987、ある闘いの真実』を同じ日に見た。どちらも大学生が警察や機動隊と戦う場面があって、その違いが興味深かった。

『1987』は1987年の韓国の民主化運動を描いたものだが、ポイントは30年後の2017年の文在寅政権の成立後に作られたことだろう。当然ながらその前の朴槿恵政権ではとても作られなかった内容で、光州事件を扱った同じ年の『タクシー運転手』などと同様に左派政権になってぞろりと出てきた「民主化映画」である

『1987』は韓国で700万人が見たというだけあって、警察が大学生を拷問の末殺してしまう映画でありながら、娯楽要素をたっぷり盛り込んでいる。全斗煥政権やそれを担うに戦う警察と戦う検事も新聞記者も看守もどこか楽観的で、随所で笑いを呼ぶ。

『日大闘争』とその続編は、大学当局や警察相手に「勝てない戦い」を挑む学生たちのひたむきさがすばらしい。代わる代わるにマイクを持って「大学当局の横暴」「徹底的な追及」「圧倒的な圧力」「無能なる教職員」「右翼、暴力団の暴力的行為」といった言葉を何度も繰り返す。録音が悪いこともあって半分しか聞き取れないが、命懸けの迫力と高揚感がある。

『日大闘争』は「9.30」の日大講堂での古田会頭との大衆団交で、理事会総退陣にサインをさせるが、数日後に佐藤首相の介入ですべてが反古になったところで、終わる。『続日大闘争』は、それからの街頭運動や東大闘争への参加などを見せるが、だんだん学生たちに疲れが見えてきて、学生の一体感がなくなってゆく。

そうして翌年2月に機動隊の導入で全学のバリケードは排除されて、続編はプツンと寂しく終わる。後半は街頭で学生たちが警察や機動隊に連行される場面が何度も出てくるが、暴力的な場面はほとんどない。2人の機動隊員に左右を掴まれて、寂しそうに歩いてゆく。仲間を取り戻そうとする学生もいない。

『1987』の最後には6月民主抗争のドキュメント映像が流れるが、こちらの警察の攻撃はすさまじい。催流弾をぶち込んで倒れた学生を数人で容赦なくボコボコに叩く。こんな残酷な場面は『日大闘争』には1つもない。

警察が若者をボコボコにする映像といえば、これまた同じ映画祭で上映したフランス映画『憎しみ』(1995)の冒頭に、機動隊が郊外の暴動を鎮圧するニュース映像が出てくる。これも韓国と同じように全く容赦ない。

日本の警察や機動隊は実は海外に比べたらずいぶん紳士的に見えたが、これは本当だろうか。そんなことを考えた。

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