「博士」の謎
かつて「末は博士か大臣か」という言葉があった。もともと明治の流行歌からきたらしいが、私が小さい頃、昭和40年代くらいまではよく使った記憶がある。明治以来の立身出世主義が、昭和にはまだ残っていたのだろう。
いつ頃からか、「博士」とは大学院で「修士」の次に取得できるものとなった。しかし少なくとも昭和の終り、つまり80年代の終りまではそれは理系に限られていた。大学の先生になりたければ、博士課程に進学する。しかし博士論文は書かず、単位を取って「満期退学」となり全国のどこかの大学でポストを見つける。
その頃は「公募」はほとんどなく、自分の指導教授の「ツテ」で決まることが多かった。文学は理系と違って「発見」は少ないため、「博士論文」は難しいと言われていた。たまに文学などで「博士」を名乗る人は、フランスやアメリカの大学で取った場合がほとんどだった。
私が84年にパリに留学した時に、多くの東大仏文の博士課程の人々に会ったが、彼らは3、4年で帰国してそのうち2、3割が数年後にフランス語で博士論文を仕上げて「博士」号を取得していた。別になくても大学のポストは見つかるので、無理しない人も多かった。
大学教員の採用で「公募」が一般的になったのと、日本の大学の文学部で「博士」号がポンポン出るようになったのは同じ頃で平成の初めからだ。博士号に関しては、90年代前後から大学院に外国人留学生が爆発的に増えたことがあった。
最初は欧米人が多かったが台湾や韓国からの留学生が増えて、最近は中国人だらけになった。彼らは博士取得を目的に日本に来ている。だから博士課程進学後、3~5年で論文を出す。それほどレベルが高くなくても外国語である日本語の文献を必死で調べて何とか書いていれば、論文は認められる。
外国人への優しさというか人情もあって、日本で博士号を取る外国人留学生はどんどん増えている。そうなると日本人も博士論文を出す。特に平成になって大学のポストが公募になってからは、「博士」が前提となってきたので、みんな出す。
ところがそれを審査する「教授」たちは、ほとんどが「博士」を持っていない。博士論文を書いたことがない先生たち(私も含めて)が、外国人、特に中国人にどんどん博士号を出すというのが、令和日本の大学である。たぶんあと10年たてば教授も博士号取得者が大半になると思うが、今のところはそんなおかしな過度期にある。
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