大学で何を学ぶか:その(1)
新聞にはよく「続きもの」がある。あるテーマをシリーズで何回かに分けて書く記事のことだ。私は新聞社を離れてもう16年もたつのに、ここでよく「続きもの」を書く。中には一回目で終わることもあるが、それでも「続きもの」を思いつく瞬間が楽しく、先のことを考えずに始める。
新聞にはよく「続きもの」がある。あるテーマをシリーズで何回かに分けて書く記事のことだ。私は新聞社を離れてもう16年もたつのに、ここでよく「続きもの」を書く。中には一回目で終わることもあるが、それでも「続きもの」を思いつく瞬間が楽しく、先のことを考えずに始める。
いつの間にか「メキシコ映画大回顧」が始まって、ようやく2本見たらもっともっと見たくなった。ところが全く時間が取れない。大学は学期末試験と採点、ゼミ誌指導、卒論審査に加えて修論や博論の審査と続く。赤ペンを持って他人の文章を直すだけで丸一日が過ぎてゆく。
ノーベル賞を取った韓国のハン・ガンは、ここに先日書いたように『すべての白いものたちの』が文庫になっていたので読んだ。その静かで詩的な独白に惹かれて、次に買ったのが単行本の『少年が来る』。
上映中の吉田大八監督の映画『敵』の主人公は私のようだ、と何度か言われた。私は東京国際映画祭で見たが、確かに「元大学教授」という設定で、かつての教え子の美女や若い女性に妄想をする姿はいかにも私にありそうだ。そのうえ、その教授の専門は「フランス演劇」で、時々フランス語の原書を読むところなどもちょっと近い。
母の七回忌で九州の実家に帰った。実家といっても両親亡き後に姉夫婦が住んでいる家で、そうなるともはや「自分の家」という感じはだんだん薄れてきた。少し時間があったので、家の周囲を散歩してみた。
いつの間にか国立映画アーカイブで「メキシコ映画大回顧」が始まっていた。この特集名を聞いて笑ったのは、2001年に同じ会場で私が企画した「イタリア映画大回顧」を思いだしたから。「大回顧」という時代がかった言い方が、ラテンの国にはふさわしいのかもしれない。
日本の大学に大学院が増えたのは文部省(当時)の「大学院重点化」からだと書いたが、これは1990年に東大から始まった。大学院生の数を数倍に増やし、文部省から別予算が出たので教員は「大学院教授」と名乗った。実際はほとんどが学部でも教えていたが、そうなった。
もう1月も半ばを過ぎたので、「年末年始」は終わりにするが、最後に「映画ではない映画」をもう1本取り上げたい。今年最初に見た試写は、3月1日(土)公開の小田香監督『Undergroundアンダーグラウンド』だった。これはいったい何だろうか。
森美術館で9月からやっていた「ルイーズ・ブルジョア展」がこの19日に終わるので慌てて行ってきた。地下鉄でポスターを見て、「地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、すばらしかったわ」という副題というか、作家の言葉が気になった。
相変わらず「映画ではない映画」ばかり見ている。これまた年明け早々に見たのが、ヴェリコ・ヴィダグ監督の『キノ・ライカ 小さな町の映画館』。映画館を作るドキュメンタリーで、これもまた「映画をめぐる映画」の一本。
博士の謎は、実は今の大学院の本質的な問題に関わっている。1990年代から文科省の「大学院重点化」で大学院の学生数が急に増えた。一方で経団連の圧力もあって、もっと「実社会に役立つ学問」をという動きも強まった。例えばかつて大学でかなり教えていたフランス語やドイツ語は推奨せず、英語を中心にするという方向だ。
安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』もまた映画をめぐる映画である。去年8月に1館で始まって、9月にはギャガが配給に加わってシネコンでの展開が始まり、今では300館で上映されて興収は10億円を超した模様。『カメラを止めるな!』(2018)の快進撃に似ているので比べる人も多い。
かつては博士号を取るのは理系がほとんどで、文系の場合は海外で取得する場合が多かったと書いた。それが近年国内の文系でもホイホイ出すようになったが、博士号を取るには「博士論文」を提出しないといけない。出すだけではなく、その後「審査」を受けて受理されることが必要だ。
考えてみたら、昨年末からいわゆる「映画」ではないような映画ばかり見ている。ドキュメンタリー『どうすればよかったか?』はおよそ映画的な美学も娯楽もなく、ただ描かれる現実の強さに驚く作品だった。
だいぶ前から草野なつか監督の『王国(あるいは、その家について)』がすごいという話は聞いていた。もともと愛知芸術文化センターの依頼で作った64分版が2017年にできて、それをふくらました150分バージョンが2018年にできた。
不思議なことに、年末になると「ああ今年も終わりだ」と思う。今年はどんな年だったか考える。かつては年賀状を書くという行為があった。一年前に来た年賀状を読みながら住所、名前を書いて、さらに一言書いた。長年会っていないと書くことがなく、思い悩む。
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