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2025年1月27日 (月)

『少年が来る』を読む

ノーベル賞を取った韓国のハン・ガンは、ここに先日書いたように『すべての白いものたちの』が文庫になっていたので読んだ。その静かで詩的な独白に惹かれて、次に買ったのが単行本の『少年が来る』。

1980年の光州事件については事件当時は日本にあまり情報が入ってこなかったこともあって、私の中でイメージが薄かった。『タクシー運転手』のような映画も見たが、こちらはある種の泣き笑いのメロドラマに作られていた。

今度、『少年が来る』を読んで初めて被害者たちの側からこの事件を見た気がした。この時の弾圧はとても1980年とは思えないほど無茶苦茶で、戦前の日本の特高警察に近い感じがした。この本は6章に分かれていて、それぞれ別の被害者が語る形を取っている。

例えば第二章は死んだ少年のモノローグとして語られる。出だしが「僕たちの体は十字架状に幾重にも折り重なっていたんだ。/僕のおなかの上にしらないおじさんの体が直角に置かれ、おじさんのおなかの上に知らない兄さんの体がまた直角に置かれたんだよ」

これは16歳の少年の話である。街頭で銃殺されて死体は一カ所にまとめられて石油をかけて燃やされた。その一部始終を死んだ少年の声が語るのだから、「すさまじい」としか言いようがない。特高警察よりもむしろ南京大虐殺かと思っていたら、第四章にこんな文章があった。

「ベトナム戦争に派遣されていた韓国軍のある小隊に関する話も聞きました。彼らは田舎の村民会館に女性や子ども、老人たちを集めて全員焼き殺したというのですよ。そんなことを戦時中にやっておいて褒章を受けた人たちがいて、彼らの一部がその記憶を身に付けて私たちを殺しに来たのです。済州島で、関東と南京で、ボスニアで、すべての新大陸でそうしたように、遺伝子に刻み込まれたみたいに同一の残忍性で」

「済州島」とは1948年の四・三事件のことだが、「関東」とは注によれば何と関東大震災後の朝鮮人デマ虐殺を指すという。南京はもちろん大虐殺。ここに挙げられた歴史的に残忍な行為のうち、二つに日本人が絡んでいるではないか。この独白は刑務所に入れられて拷問を受けて出獄し、現在まで生き延びた男のものだ。文章は続く。

「忘れずにいます。私が日々出会うすべての人たちが人間だということを。この話を聞いている先生も人間です。そして私もやはり人間です」

「私は戦っています。日々一人で闘っています。生き残ったという、まだ生きているという恥辱と闘うのです。私が人間だという事実と闘うのです。死だけが予定を繰り上げてその事実から抜け出す唯一の道だという思いと闘っているのです。先生は、私と同じ人間である先生は、私にどんなふうに答えることができるのですか」

「先生」とは話を聞いている作家である。ハン・ガンは光州で生まれて9歳まで過ごし、事件発生の数カ月前にたまたまソウルに引っ越したという。30年以上後の故郷での聞き取りが、怖ろしくも普遍的な人間の真実を突き付ける。

 

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コメント

私も「菜食主義者」、「すべての白いものたち」の詩的な感じに心惹かれました。「少年が来る」、買いました。今、読み始めたところです。

投稿: 辻田 | 2025年1月27日 (月) 19時42分

私も「菜食主義者」、「すべての白いものたち」の詩的な感じに心惹かれました。「少年が来る」、買いました。今、読み始めたところです。

投稿: 辻田 | 2025年1月27日 (月) 19時42分

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