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2025年1月21日 (火)

「メキシコ映画の大回顧」:その(1)『次の夜明けに』と『街娼』

いつの間にか国立映画アーカイブで「メキシコ映画大回顧」が始まっていた。この特集名を聞いて笑ったのは、2001年に同じ会場で私が企画した「イタリア映画大回顧」を思いだしたから。「大回顧」という時代がかった言い方が、ラテンの国にはふさわしいのかもしれない。

とりあえず空いている時間に見たのはフリオ・ブラチョ監督の『次の夜明けに』(1943)。チラシには「メキシコ映画黄金時代の初期を飾るフィルム・ノワール」と書かれている。また40本以上の長編を手がけたこの監督の「代表作」という。

まず、主演女優のアンドレア・パルマがすばらしい。彼女の演じるフリエタにはマレーネ・ディートリッヒのような繊細さと妖艶さがあって、外交官から落ちぶれてしまった自宅でなにやら寂しそうに物書きをしている夫イグナシオとは釣り合わない。

彼女をかつて愛したオクタビオと偶然に再会するのが映画館というのもいい。この男はかつてと変わらず革命を目指し労働運動に従事し、警察の目から逃げ回っていた。フリエタは自分の家で匿うことをオクタビオに提案し、夫も了解する。このオクタビオは青年のようにキラキラした目だが、これまたフリエタの前では子供のよう。

チラシには「フィルム・ノワール」と書かれているし、オクタビオを狙う警察はフリエタの家を取り囲みなんとか逮捕しようとしたり、重要な書類を奪おうとするのだが、このあたりはどこかゆるい。あくまでフリエタがどちらの男を選ぶかという恋愛が大問題で、だからラストに駅でフリエタがオクタビオの乗る列車に乗らず、夫のもとに帰るところが見せ場のメロドラマとなる。

それにしてもフリエタの立派な家といい、賑やかな街頭といい何と陰影に富んだセットと照明だろうか。あるいは最後の大きな駅のシーンの溢れる情感は、まさに映画大国の黄金時代の輝きである。

次に見たのがマティルデ・ランデタ監督の『街娼』(1951)。女性監督が描く姉妹の異なる運命というので興味が湧いた。マリアは街頭に立つ娼婦だが、ある時高級車が突っ込んできて軽いけがをした。そこに乗っていた金持ちの横にいたのは妹のエレナだった。マリアはもらった名刺を頼りに妹を訪ねるが、冷たい仕打ちをされる。

マリアにはヒモの男ロドルフォと暮らしているが、彼は金持ちの夫人を誘って儲けていた。ある時ロドルフォが狙ったのはエレナで、2人は恋に落ちてしまう。エレナは夫の金を盗み出してロドルフォと国外に逃げようとするが、夫に気づかれ失敗する。

あまりにも作り過ぎたありえない設定だが、最後がすごい。ロドルフォは追いかけるマリアを撃ち殺して自らは警察に銃殺される。そしてロドルフォはエレナを家から追い出す。これがほんの5分くらいでずんずんと決着がついて、見ていてびっくり。

女たちは身分にかかわらず苦労するが、男たちは金持ちもヒモも自分勝手で自分のことしか考えてない。こういうあたりが女性監督らしさだろうか。この姉妹を結局は非難していない。マリアの同僚が病死するが、かつて金持ちや政治家と浮名を流したというこの女性の最期も痛ましかった。

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