博士の謎:その(4)「大学院重点化」とは何だったのか
日本の大学に大学院が増えたのは文部省(当時)の「大学院重点化」からだと書いたが、これは1990年に東大から始まった。大学院生の数を数倍に増やし、文部省から別予算が出たので教員は「大学院教授」と名乗った。実際はほとんどが学部でも教えていたが、そうなった。
それは旧帝大すべてに広がり、その次のクラスの大学まで広がった。結局2010年頃までに16の国立大学が「重点化」をして予算を増やしたが、それで打ち切られた。私立大学でも大学院を作ったり充実させる大学が増えた。私の勤める大学では1993年に1専攻だった修士を5専攻に広げ、さらに1995年に博士課程を設置している。
私立の場合はほとんど予算は増えないが、国立も含めてステータスをあげるための「重点化」では、大学院を大きくして「研究院」「学環」などと名乗った。例えば早大は「文学学術院」となった。
「学校基本調査」という文科省作成のデータがあるが、それによると1990年度の大学院生は90,238人(博士28,354人)だが、2024年度は271,639人(博士77,717人)である。つまりはこの30年あまりで大学院生はほぼ3倍に、博士は2倍強になっている。
2倍に増えた博士課程修了者は、大学のポストを2倍作らないと就職先がないことになるが、実際は基礎的な研究分野でポストはむしろ減っており、加えて「実務家教員」が奨励されているので博士取得者にはポストが減る一方。
私立大学に関して言えば、実は大学院を作ると収入が増える。教えるのは学部を教えている教員だが、大学院の手当はびっくりするくらい安い。教員の負担を増やせば大学院生の学費は純増になるのだから、経営上は大学院万歳のはず。文科省は「高度な教育の充実」などと言っていればいい。
現在は中国人留学生が国立も含めて日本の大学院に押し掛けている。幸いにして多くは真面目で頑張るのでこちらも教えがいはあるが、それにしても語学のハンディは大きい。研究の指導よりも、日本語を直す時間の方がずっと長い。彼らがちゃんと学費を払ってくれるので、大学の経営はいいのだろうが。
私は1997年から7年間、会社員時代に東大の「表象文化論」で非常勤講師をしたが、そこの教授から「院生が何倍も増えて玉石混淆ですよ」と聞いた記憶がある。私は学部で教えていたが院生も受講が可能で、漫画からアフリカ音楽までありとあらゆる専門の学生がいた。さすがに東大なので、今やその時の学生の何人かは各地で教授になっているけれど。
当時、その東大の先生から「大学院重点化」は、欧米に比べて日本は大学院生の割合がずいぶん少ないことから文部省が始めたと聞いた。それが今や大半の大学の博士課程に中国人が押しかけている現状をどう考えているのだろうか。そもそも社会構造の異なる欧米と比べたのが間違いだったのではないか。
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