年末年始の映画:その(2)『映画を愛する君へ』
考えてみたら、昨年末からいわゆる「映画」ではないような映画ばかり見ている。ドキュメンタリー『どうすればよかったか?』はおよそ映画的な美学も娯楽もなく、ただ描かれる現実の強さに驚く作品だった。
ドキュメンタリーは、描かれる対象が十分におもしろいと、撮り方も演出も関係なくてそれだけで見たくなる。「それは映画ではない」と言うのは勝手だが、最近の私はそんな区別はいらないと思う。
それから映画をめぐる映画もいくつか見た。『王国』はリハーサルを見せる映画だった。脚本を持って同じ方向を向いて読むシーンから、次第に向かい合い、脚本なしで声を出し、最後には声を出す顔のアップが来る。
1月31日公開のアルノー・デプレシャン監督『映画を愛する君へ』を試写で見たが、これまた映画についての映画だった。この監督は『そして僕は恋をする』(1996)を代表に、まさに「映画的」とは何かを追求してきたが、今回はそのタガが完全に外れている。
一応、ポールという主人公が出てきて少年時代、学生時代、青年時代、評論家から監督を目指す30歳前後(なぜか黒人が演じている)、さらに映画監督の現在(これはデプレシャン本人)の時代が示される。しかしそれはあまりつながらないし、関係のないショットもどんどん出てくる。東京日仏学院とか大阪のシネ・ヌーヴォーなどもチラリと出る。
一般観客へのインタビューではみんなが正面を向いてカメラに話しかける。映画の冒頭はなぜか英語でスタンリー・カヴェルの本が引用される(だったと思う)。終盤にはニューヨークでデプレシャンが評論家のケント・ジョーンズと英語で話す。なぜなのかわからないが、デプレシャンは真剣だ。映画では何十本もの映画が引用されるが、その選択が私にはどこかピンとこなかった。
一番よかったのは、少年時代のポールの祖母として出てきたフランソワーズ・ルブランが出てきたことで、全身から優しさが溢れ出ている感じは『ママと娼婦』(1973)から変わらない。最近の『VORTEX』(2021)もよかったし。総体としてはよくわからないながら、いろいろ考えさせられておもしろかった。
そういえば、字幕の小さな間違いを上映後メールで配給会社に知らせたが、返事がない。これまで4回やったが、まともに対応したのはビターズ・エンドだけで「翻訳者の寺尾次郎さんに問い合わせたらところ、間違いとのことでした。ありがとうございました」。配給会社としては面倒くさいのだろうが、無視はいかんだろう。
今年最初に映画館で見た映画は、これまた映画をめぐる映画の『侍タイムスリッパー』だったが、これについては後日書きたい。
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