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2025年1月11日 (土)

博士の謎:その(3)博士号の後で

博士の謎は、実は今の大学院の本質的な問題に関わっている。1990年代から文科省の「大学院重点化」で大学院の学生数が急に増えた。一方で経団連の圧力もあって、もっと「実社会に役立つ学問」をという動きも強まった。例えばかつて大学でかなり教えていたフランス語やドイツ語は推奨せず、英語を中心にするという方向だ。

一言で言うと、文系に関しては大学院の数は増えて学生も増えたが、その専門を極めても教えるポストが少なくなった。それが一番顕著なのは文学系で、大学院には膨大な学生がいても、専門的な内容を教えるポストはどんどん減っている。

なぜなら大学は文科省の指導で文学部を改組して「国際文化学部」とか「文化政策学部」「国際コミュニケーション学部」「表象文化学部」等に変えたから。簡単に言えば、フランスの19世紀の小説家バルザックを研究して博士論文を書いても、19世紀フランス文学を教える場所は年々減った。せめてフランス語を教えようとしても、フランス語を教える大学は今や30年前の半分以下になった。

修士はまだ一般企業に就職することが可能だからいい。とくにマスコミは30歳くらいまでなら何とかもぐり込める。ところが文系で博士課程に行くとさすがに企業には就職できない。かといって専任講師や准教授などの専任での採用枠は限られている。そのうえ、これまた経団連の意見で社会人を教授として雇うようになった(私もだが)。

今や国立大学も毎年予算が減らされて、競争型の研究費にシフトしているから、できるだけ専任教員は増やさずに非常勤講師で雇う。私立大学はもっとそうだ。30歳前後で博士論文を書いたとしても、非常勤講師が数コマあればいい方だ。生活のためには、東京に住んでいても、毎日、千葉や神奈川など関東各地を非常勤講師として駆け巡るのは普通。

優秀な者はようやく40歳頃に専任講師や准教授になることができるが、それは文学部で言えば全国の博士号取得者の3割も行かないのではないか。実はネットで調べてもこのデータは全くないが、自分が体感としてわかる「映画研究」に関しては1~2割くらいに思える。そして東大、京大の大学院卒がそのポストの多くを占めている。

そんなことがわかっていて博士課程に進んだのはもちろん本人の責任だが、全国津々浦々にこれほど多くの大学院を認可した文科省にも問題はある。この20年で博士号の取得希望者が増えたのは、この状況の中で少しでも専任教員に選ばれる可能性を増やすための涙ぐましい努力の結果だ。将来の就職先の保証がほとんどない文系の大学院博士課程がこれほどあること自体が、自分にはおかしいように思えてならない。

自分が博士課程で教えていながら、さらに博士号を持たない「実務家教員」(文科省用語)でありながらこういうことを書くべきではないかもしれないが、書いておきたいと思った。

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