田舎で考える
母の七回忌で九州の実家に帰った。実家といっても両親亡き後に姉夫婦が住んでいる家で、そうなるともはや「自分の家」という感じはだんだん薄れてきた。少し時間があったので、家の周囲を散歩してみた。
一番驚いたのは、どこも道路が広くなっていたこと。昔はあちこちに小さな古い家があって、そこにはたくさんの人々が住んでいた。そして間口の狭い小さなラーメン屋やお好み焼き屋、よろず屋、駄菓子屋、文具店、養鶏場、床屋などがそこかしこにあった。
古い家は取り壊されて道路になり、ほとんどは店舗はたたんで平屋になっている。私が小学生や中学生の頃に通った駄菓子屋は、私より少し上のかつての子供が定年退職後に住んでいる。多くは自宅の商売を継がずに高校や大学に行き、別の仕事をして帰ってきた者が多いようだ。
一番よく行ったよろず屋は廃業し、そこの息子は九州のほかの県で外科医となった。よろず屋の後に自宅を立て替えて、別荘としてたまに帰ってきているという。私の実家から歩き出すと、道路の右側にまず駄菓子屋があり、理髪店、文具店、旅館、和菓子屋、駄菓子屋、魚屋、よろず屋と続いたが、本当にすべてなくなってしまった。
道路の左側に立っていたいくつかの家やラーメン屋や化粧品店もなくなり、広大な駐車場になっている。その代わりに少し離れた県道沿いに大きなスーパーやコンビニができた。コンビニといえば、都心に住む私にとっては歩いて行く場所だが、田舎では大きな駐車場があって、みんな車で買いに来る。
自分が通った中学校には数年前に行ったことがあったので、今回は小学校に行ってみることにした。かつて歩いた通りの多くは大きくなっている。炭鉱の住宅が並んでいた場所は、戸建てが立っていたり、運送会社があったり、高齢者用の施設があったり。
小学校に近づくと、まず近くにあった天理教の建物が大きくなっているのに驚く。そしてその上の丘にあった小学校は校舎が何倍にも増えている。あとで姉に聞いてみると、小学校を統合してかつての別の校区からはバスで通うらしい。運動場も山を切り開いて大きくなったが、さらに隣に大きな体育館を新築中だった。
一言で言うと、すべては大きく清潔になり、かつての情緒というか半分闇のような、子供が探検をできる空間は消えてしまった。まだ私が住む神楽坂界隈の方が、古い和菓子屋とか居酒屋とか、情緒や闇が残っているかもしれない。
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コメント
感慨深くせつなかったです
投稿: 辻田 | 2025年1月27日 (月) 20時01分