ジュリーのこと
島崎今日子著『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』をようやく読んだ。『週刊文春』の連載の時に気になったので1年以上前に買っていたが、そのまま放っておいた。ジュリーという存在は、私にとってはどこかピンと来なかったからかもしれない。
私には姉が4人もいるが、彼女たちは「グループ・サウンズ」が直撃した世代だ。2番目の姉はショーケン、3番目は堺正章、4番目はジュリーが好きだったと記憶する(違うかもしれない)。家には『明星』とか『平凡』などの雑誌がいつも転がっていた。
タイガースの時代は私は小学校低学年で、ジュリーが「君だけに」などと歌うとコンサートで失神する女性が出たニュースを見ながら、「これは日本は危ない」と思っていた。それから1970年頃に「グループ・サウンズ」が次々と解散してゆき、姉たちが実に悲しそうだったのを覚えている。
私がジュリーの存在感を感じたのはむしろその後で、「危険なふたり」や「時のすぎゆくままに」などは今でも歌詞を少し覚えているくらい。中学生の頃で、同級生の女の子にもファンがいた。それから後は私立の進学校に進んで下宿したこともあり、大学に入るまでほとんどテレビを見ていない。
唯一覚えているのは「TOKIO」のパラシュートを後ろに背負って歌う姿で「芸能人は大変だなあ」と思った記憶がある。それからはまた時々名前を耳にするぐらいだったが、映画好きになってからは、『太陽を盗んだ男』(1979)、『ときめきに死す』(84)、『カポネ大いに泣く』(85)、『夢二』(91)などを見た。
しかし最近の『キネマの王様』(2021)や『土を喰らう十二カ月』(22)の太った姿は、全くいいと思わなかった。自然体なのだろうが、演技というより演出がもったいぶっていて、見ていて落ち着かなかった。
そういえば、一度だけ近くで見たのはポール・シュレイダー監督の『MISHIMA』に脇役で出た時で、1985年のカンヌ国際映画祭に来ていた。記者会見の席では質問が監督や主演の緒形拳に集中したので、彼は不機嫌でヒマそうに足をぶらぶらしていたのを覚えている。日本のパーティにも顔を出して、みんなに頭を下げていた。
それから「朝日新聞」の短い記者時代に、先輩女性でジュリーの大ファンがいて圧倒されたのを覚えている。ジュリーは私より5~10歳くらい上、つまりジュリーより少し下の世代に一番刺さったのではないか。この本を書いた島崎さんも1954年生まれでその世代。ちなみにジュリーは1948年生まれ。
本は楽しく読めたが、ショーケンと一緒に組んでいた時代があったとか知らなかったし、それ以上にさまざまな紆余曲折を重ねながら生きてきたのだなと感慨深かった。後書きによれば、「週刊文春」の連載は準備に2年間かかったという。しかしジュリーに取材できたのはずっと前の1999年だけだったらしい。本の最後の言葉は「我等がジュリーよ、永遠なれ!」。
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