『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』の死に方
死ぬと決めた日の前夜、親しい友人とバスター・キートンの『セブン・チャンス』を大笑いしながら見る。そして翌日、黄色の上下に身を包み、テラスのソファで静かに眠る。あんな死に方ならいいなあ。先日、映画館で見たペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』のことだ。
スペインのアルモドバルがニューヨークを舞台に英語で撮ったと聞いて、ちょっと不安だった。彼の映画のけばけばしい色彩やほとばしる情熱は、スペイン特有の土地の匂いやそこに生きる人々の魂と切り離せないと思ったから。
しかしアルモドバルは、ある意味でそのスペインらしさをニューヨーク風のスノッブらしさに巧みに昇華させた。まず設定がそれらしい。ジュリアン・ムーア演じるイングリッドは流行作家で、ティルダ・スウィントンは元戦場ジャーナリストのマーサ役。50代の2人が偶然に再会し、イングリッドはマーサが末期癌だと知る。
2人は時を取り戻すかのように話し込み、自分の死を看取ってくれというマーサの依頼をイングリッドは受け入れて、郊外の高級でモダンな別荘で一緒に住み始める。マーサは闇サイトから致死量の薬を入手しており、あとは自分の好きな時に飲むだけだった。
そもそもニューヨークの2人のアパートが超高級でセンスが良すぎ。マーサの家には、最近私が森美術館で見たルイーズ・ブルジョアの展覧会の副題にもなった「地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、すばらしかったわ」という文字のキルト作品が飾ってある。別荘にはエドワード・ホッパーの絵があった。
彼らが見に行く映画はロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』だし、会話にはマックス・オフュルスの『忘れじの面影』が出てくる(この映画と少し似ている)。ジェームス・ジョイスの『ダブリン市民』の一節が引用され、その映画化であるジョン・ヒューストンの遺作『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』の終りのシーンも確か『セブン・チャンス』の後で2人が見る。
そして2人の着る服の色彩といったら。ほとんど場面が変わるごとにすべて服を変え、赤、青、黄、緑といった原色が内装と響き合う。まさかアルモドバルが初の英語作品ということで力んだのではないだろうが、「ハイセンス」のために色の祭典だけでは足りなくて映画や文学や美術まで援用された感じ。
それでもティルダ・スウィントンの死の姿はすばらしかったし、マーサがずっと会っていなかった娘がやってきた瞬間には、アルモドバル特有の震えが来た。だから見てよかったのだけど、やはり次はスペインに戻って、昔のように自然体で撮って欲しい。
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