伊藤彰彦『仁義なきヤクザ映画史 1910-2023』を読む
これまた1年以上放っておいた本、伊藤彰彦『仁義なきヤクザ映画史 1910-2023』を読んだ。もともと「ヤクザ映画」自体をあまり見ていなくて、山根貞男さんや蓮實重彦さんがほめる東映の任侠映画を十数本見たくらい。
それで「任侠映画」と「実録路線」の違いがわかったつもりになっていたから怖い。この本はその意味で私の無知をたっぷり悟らせてくれた。そもそもヤクザとは何か。それは「清水次郎長や国定忠治といった江戸後期に実在した博徒、侠客」を指すとは実は知らなかった。清水次郎長の私のイメージは、長谷川和夫や鶴田浩二などのハンサム俳優が出てくる明朗時代劇(それも見ていない)で、ヤクザとは思わなかった。
「1927年には大河内伝次郎の『忠次旅日記』三部作(伊藤大輔監督)が庶民ならず知識人層にまで支持された。30年代の昭和恐慌時には長谷川伸や子母澤寛原作の「股旅もの」が寄る辺ない庶民の心を捉える。戦時中は軍部から戦意昂揚に役立たないと、終戦後はGHQから封建的という理由で、ともにヤクザものは禁止されたが、50年代になると歌謡曲や浪花節の「任侠もの」と合わせ、ヤクザ映画も復活した。60年代には東映任侠映画が空前のブームになり、他の映画会社もヤクザ映画を一斉に作り始める。60年代の東映ヤクザ映画はまた、香港、韓国、台湾に輸出され、アジア各国のアウトロー映画の祖型となった。
任侠映画ブームが十年続いて、いったんは飽きられたが、オイルショックの1973年、『仁義なき戦い』(深作欣二監督)がふたたび大ヒットし、実在の暴力団の抗争を描いた「実録ヤクザ映画」が次々と作られる」
引用が長くなったが、こういうことだろう。その前に1910年代に尾上松之助が博徒、侠客を演じたというから、ほとんどヤクザ映画は日本映画史と共にある。この本は、最近『すばらしき世界』、『ヤクザと家族 The Family』、『孤狼の血』などが作られたことから文章を始め、西川監督や白石監督へのインタビューを載せている。
まず、私が一番驚いたのは『ゴッドファーザー』(1972)の『仁義なき戦い』(1973)への影響の部分。東映のヤクザ映画で有名なプロデューサーの俊藤浩滋は「衝撃を受け、これを超える日本映画を作ろうと考えた」という。
「『ゴッドファーザー』と『仁義なき戦い』はともに1972~73年に作られた。それは68年に始まる世界的な反乱の季節が終わり、熱狂から閉塞に向かう時代だった。この二作品は、大衆の鬱屈や潜在的な欲望を暴力描写によって解き放ち、大ヒットしたことでパラマウントと東映を経営危機から救った。ともに第一級のエンタテインメントであり、反社会勢力の側からもうひとつの日米の近代史を描いたことが批評家に高く評価された」
私の中ではこの2本は全く別物としてあったかれど、こう書かれてみると確かに「革命の後の暴力」、つまり内ゲバかもしれない。それが映画産業が急速に落下した時期だけに何とも痛ましい。
ほかにもいろいろあるが、続きは後日。
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